イギリス家族法と児童保護法における子の利益原則 沿革と現代法の構造

東 和敏 著

イギリスは家族法領域および児童保護法領域の接点である「子の利益保護」について、1601年から保護すべき子の利益原則についての確立に努め、そこでの法制度の基本原理の構造、さらに現在における法的展開を追究する。(2008.11)

定価 (本体5,200円+税)

ISBN978-4-87791-188-2 C3032

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著者紹介

東 和敏

生年月日 1963年3月9日

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まえがき

はじめに

1765年に刊行された『イギリス法釈義』第1巻『人の権利』において、著者ウィリアム・ブラックストーンは、子を扶養し、保護し、彼に教育を行うことは、イギリス法における親の義務であることを説く。この義務は、単に法律上の義務のみならず、自然法に由来する義務であるとも説いている。一般的に親子関係の安定と子の福祉の招来は、実にそれら義務の誠実な履行に負うところが大きい。子の扶養と教育について、子に対する真摯な思いと信念あるいは愛情のうえに、親自らがそれら現実のしかし敬虔な職務を履行することができるなら、家族関係において生ずる子の養育上の問題は、その多くが発生源を絶たれることになろう。少なくともその期待はもてる。現にイギリスにおけるのみならず、人類社会において、親は、歴史的な変遷や国家相互の態様の違いはあるにしても、一応はその義務を履行し、社会的な職務ないし自らを扶養する能力を身につけ、やがては社会で自立し、個人として巣立っていくコースを子のために想定し、実現の務めを果たそうとしているのである。

そこに潜在するしかし現実の、根強い危険因子の一つが、親子関係の破綻にあることは言うまでもない。こうした自然法的な関係の破綻、つまり親による子の扶養的・教育的機能の喪失は、家族経済の破綻、その原因でもある失業、病、親ないし子の非行、怠惰など原因はさまざまであるが、その深刻な影響、ほとんどは不利益を、耐性に乏しい幼年の子に与えずにはおかない。彼らは、親の権利、とりわけイギリス社会では、父権により、その福祉ないし利益を抑制され、否定されることを、彼らの能力の故に受け入れるしかなかった。この避けがたい不利益に抗しきれなくなったとき、家族から離れ、非行化し、浮浪者となり、最悪の場合、病に罹りやがては死の末路へと辿り着くことになる。家族の子は、親子という家族内部の関係によって生ずる不利益、いわば内なる不利益と修復の在り方を見出せず、家族的な紐帯を断ち切られた子に生ずる、非行、浮浪、貧困、飢えなど外なる不利益に包囲される、潜在的な危険の中に置かれていたと言ってよい。それら危険の生ずる原因が、本来子を保護すべき家族関係、とりわけ親子関係のうちにあったことは、人類社会のある意味では必然の結果であり、また他の視点からすれば自己矛盾的な、皮肉な成り行きでもあった。この問題は、しかしいまなお現代社会それも特定の国だけでなく、広く人類社会全体が直面する深刻な問題として存続している。

歴史的経緯を俯瞰するとき、イギリスは、これらの問題に対して、家族法における子の利益原則の形成過程における対応と社会法としての性格を持つ児童保護法 (child care law) の領域における立法の対応とによって解決する方向を、いわば模索する形で、前者については、1969年、貴族院 J. v. C 判決に至るまで、後者については、1948年児童法 (the Children Act 1948) の制定に至るまで、それぞれに辿ってきたことが読み取れる。

家族法領域における子の利益原則発展の胎動は、1700年代終わりから1800年代初頭にかけて、大法官裁判所におけるエクィティ形成過程のうちに見られる。コモンローの下、父権の効力に支配され、抑制された、家族関係において保護されるべき子の利益が、父権の効力から開放される、ある意味では離脱する動きが、その時代に始まるのである。1969年貴族院判決では、マクダーモット (MacDermott) 卿により、「…一切の関連事項、親の請求および意思、危険、選択および他の事情が斟酌され、重視される場合、辿るべき方向性は、いずれが子の利益において最も重要であるかということである」と主張され、子の引渡しにおいて、親の意思あるいは権利ではなく、子の利益が優先されるべきであるとした。この判決は、やがて1989年イギリス児童法第1条に規定される、子の利益原則へと発展する。すなわち、子の監護教育、財産の関係においては、子の利益が施行の考慮事項とされたのである。この時点は、子の利益保護の法原則が、親権の効力に優越する効力を認められるようになった転換期を意味する。この原則によれば、親権は、子の利益実現のため機能する一要素としての効力を認められるに過ぎないのである。コモンローにおける子の親に対する地位からすると、この法論理は、飛躍的な発展であるとみなし得る。

他方、児童保護法領域における、子の利益保護法制の発展は、1601年イギリス救貧法 (the Poor Law 1601) の制定から始まる。もともと、失業者、生活困窮者などに対する慈善的な救貧対策と職業訓練事業などの産業政策的な意図があったとされるこの救貧法は、のちに度重なる特別法の制定による修正を加えながら 347年の間その命脈を維持してきたが、1948年に廃止された。この間、救貧法の政策として施行されてきた児童に関する保護政策は、1948年以降、イギリス児童法 (The Children Act) の制定以降新たな段階に到達した。親以外の第3者に託された子の保護は、子の最善の利益 (the child's best interest) が保障されることを基本原則としたのである。

法的性質の異なる家族法領域と児童保護法領域ではある。しかし、子の利益保護という共通項でこの二つの法領域は繋がれる。前者は、一般的な家族関係に関する法体系であり、子の保護について言えば、父権に対する子の利益が保護される過程を辿っている。後者は、一般的な家族関係から離脱し、他人ないし他の機関に委ねられた、この意味で特殊な事情を背負った児童のケアに関する法であり、子の最善の利益原則は、この領域を律する原則として確立されたものである。

それぞれに異質の環境下におかれた子、その保護すべき利益について、結果として、イギリスはその法制度を通して、すでに1601年から原則の確立に努めてきた。この過程とそこで確立された基本原理の構造、現在における展開は、筆者にとっては極めて魅力的なテーマであった。

最後に、この原稿を上梓するに当たって、多大なご協力を戴いた多くの方々には、厚くお礼を申し上げたい。とりわけ、無理な注文であることを承知で、出版を快諾して戴いた(株)国際書院、石井彰社長および資料の収集について献身的ともいえる協力を戴いた日本大学法学部図書館の職員の方々、九州大学図書館の職員の方々、感謝の意の尽きることはない。

2008年9月 日本大学国際関係学部東研究室にて

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