東アジア統合の国際政治経済学 ASEAN地域主義から自立的発展モデルへ

鈴木 隆

国際システム下における途上国の発展過程を、とりわけASEANを中心に国家・地域・国際システムの各レベルからリンケージ的手法を用いて分析し、見えざる「覇権と周辺」構造への挑戦でもある東アジア地域統合の可能性を追う。 (2011.2.3)

定価 (本体5,600円 + 税)

ISBN978-4-87791-212-3 C3031 382頁

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目次

まえがき

序論

第一節 問題の設定

米ソ冷戦の終焉は、特に国際関係の分野において、「グローバリゼーション」という新しい概念を生み出した。当時、この新しい概念は、社会生活の大部分がグローバルなプロセスに依存するという新時代の到来を告げる、社会科学者たちにとって一種特有のキャッチフレーズであったと言って良い。そして、この常套句は、世界が東西に二分された(あるいは途上国世界を加えれば三分された)永い冷戦時代の反動として、一つの世界の到来を強く印象付け、平和のイメージと等置されて語られた。

しかしながら、グローバリゼーションの急速な浸透と同時に、グローバリゼーションが内包する多くの問題点が露見し始めると、グローバリズムを礼賛する一群の研究者たち(1)に対して、アンチ・グローバリズムを標榜するもう一群の研究者たちからの批判(2)が浴びせられ、両者の議論が次第にクローズアップされることになる。

もちろん、あらゆる事象と同じように、グローバリゼーションも光と影の相反する側面を併せ持っている。政治的、経済的、あるいは社会文化的な側面において、グローバリゼーションが諸国家間関係を好転させ、紡ぎ合わせてきた事実は積極的に評価できるだろう。

だが同時に、グローバリゼーションを途上国の視座から捉え直した時、グローバリゼーションの従える影の大きさに改めて眼を向けざるを得なくなる。なぜなら、グローバリゼーションは、その浸透を受ける途上国にとって見れば、強大で異質なシステムの浸透に他ならず、外部からの強制的なシステム変容圧力として機能するからである。そのため、もし途上国がグローバリゼーションに巧く対応できなければ、外部からの異質なシステムと途上国内部の固有なシステムは互いに対立状況を形成し、その国家は経済的、政治的、そして社会的な側面において未曾有の危機に直面する(3)。

つまり、グローバリゼーションとは、冷戦に勝利したアメリカ型の価値観資本主義市場経済と民主主義のグローバルな浸透プロセスに他ならない。とすれば、グローバル化への対応が、すでにアメリカ型モデルを採用して工業化に成功した先進国よりも、むしろ途上国に対して多くの難題を突き付けていることは想像に難くない(4)。

だが、難題に直面する途上国が、グローバル化の圧力を回避するために、例えば孤立主義を採用するような政策オプションは存在していない。そのため、途上国にとって、グローバリゼーションの圧力に適切に対応することこそ持続的発展のための必要条件に他ならないのである。

しかしながら、そうした国際関係の変動の中で、東南アジアの途上国は冷戦・ポスト冷戦を問わず、あるいはグローバル化の急速な浸透状況下にもかかわらず、継続的に発展を謳歌してきた。ゆえに、この地域は、柔軟かつ適切にグローバル化に対応していると捉えられてきたのである。だからこそ、東南アジア諸国の地域的・団塊的急成長を端緒として、アジア(5)の動向を国際社会の分析と不可分に直結させる議論や、あるいは途上国の発展モデルを東南アジア諸国の中に見出そうとする議論が萌芽し、国際関係の中のアジアが一際注目を浴びたのである。九〇年代は、世界銀行による『世界開発報告一九九一年版』を皮切りに、多様なアジア・モデルが展開され、この地域の経済成長に対する詳細な分析が試みられて、従前の経済理論の枠組みを修正する動きへと拡がった。

しかし、一九九七年七月に突発したタイ通貨バーツの急落に端を発する通貨危機によって、この地域をめぐる状況は一変した。タイ経済の暗転当初、多くのエコノミストたちを中心に、アジア諸国の高い貯蓄率と、この地域特有の(権威主義体制と国家主導型開発が一体化した)開発パターンとによって、危機は一国の経済問題として早期に収束すると見る楽観論が大勢を占めた。ところが、結果として危機は短期間のうちに域内に拡散し、地域大の経済問題へと深化した(アジア通貨危機)。本書が事例として扱うマレーシアも例外ではない。

ただし、危機は東アジア全域に拡散したものの、危機の程度は国家間で差があり、見かけ上は団塊的に発展してきた東アジア諸国の経済状況はイメージが示すほど一様ではないことを危機の展開過程は浮き彫りにした。いずれにせよ、それまで世界の成長センターであった東アジア経済(6)は、瞬時に緊迫の度を深め、その「成長神話」は一瞬にして崩れ去った。途上国の優等生とされてきた東南アジア諸国の発展が頓挫したことにより、それ以降の国際社会は、ヘッジファンドに代表される無秩序なグローバル化の脅威に対する管理と、グローバリゼーションという新たな舞台上での途上国経済の脆弱性とを改めて問い直す必要性に迫られたのである。

アジア通貨危機は、当事国政府と国際機関の対応によって、数年の後にほぼすべての域内当事国で収束し、一〇年以上の歳月を経た現在では、危機をめぐる議論も過去のものとなったと言って良い。しかし今なお重要なことは、危機の本質について、未だに統一見解が存在していない点である。それゆえ、東アジア経済は、いつ再び当時のような突発的危機に見舞われ、一国規模をはるかに超える地域大の混乱に直面しないとも限らない。

また同時に、「東南アジア諸国連合(Association of Southeast Asian Nations: 以下ASEAN)」が、アジア通貨危機という地域規模の問題への危機対応において、ほとんど積極的役割を担うことができなかったという事実についても検証する価値がある。一九六七年の成立以降、東南アジア諸国の持続的な経済成長を支えてきたとされるASEANは、世界で最も成功した地域機構として賞賛されてきた。いくつものアジア・モデルが、東南アジア諸国の発展を地域単位で理論化してきたのも、ASEANという地域機構がアジア地域の牽引力となったばかりでなく、その地域的連帯性を印象付け、アジアの団塊的発展というイメージに説得力を与えたからに他ならない。

確かに、経済面に限らずASEANの果たした役割を否定することはできないが、アジア通貨危機に際して、ASEANは経済再生の主導的役割を担えず、危機打開に関しては国際通貨基金(International Monetary Fund: 以下IMF)からの各国個別の支援ばかりが注目されたのも事実である。韓国やタイ、インドネシアはIMFからの支援を受け、それによって一定の政情不安を招来したものの、IMFのコンディショナリティ下で、国内の経済構造を急速に改革した。かたや、マレーシアはIMFから融資を受けることで、アジア独自の発展の道が阻害されることを懸念し、融資を頑なに拒否し続けた(7)。

アジア通貨危機は、冷戦の崩壊とそれに続くグローバリゼーションの到来によって一つの世界が登場した一方、東アジア地域が依然として先進国に依存的で脆弱な経済構造を克服できていない現実を印象付けた。かつてのメキシコをはじめとするラテンアメリカNICS(新興工業国)が九四年から九五年にかけてのメキシコ通貨危機を経験して失速したように、東アジアの奇跡もまた、途上国の自立的で持続的な発展とはほど遠い現実を垣間見せた。それは同時に、コインの裏表として、目覚ましい成長を遂げてきた東アジア地域が、依然として途上国世界からの離脱の条件を手にしていないことを意味しているのではないか。

そのため本書は、アジア通貨危機を議論の出発点とし、アジア経済の暗展を予測できなかった東アジア経済論を再検討することで、その発生のメカニズムを改めて検証し、グローバリゼーションの持つ(特に途上国世界・地域に対する)インパクトを再考しながら、アジアを代表するASEAN地域主義に焦点を当てて、グローバリゼーション下での地域主義の機能について考究する。それにより、本書は、グローバリゼーション時代における途上国世界の自立的発展の可能性と方途について議論することを目的とする。

特に本書は、こうした問題意識のもとに広く途上国世界がグローバル経済の圧力を回避しながら、グローバル経済を受容し、現代国際関係の中で自立的、かつ持続的な発展を示すための最も重要な条件を、制度としての地域主義の機能の中に仮定し、「地域主義」を中心概念に据えて議論を進めていくこととしたい。そして、グローバル経済の中での途上国の自立的で持続的な発展の要件を地域主義の中に仮定していくにもかかわらず、なぜASEANという既存の地域主義が、アジア通貨危機に対してはグローバリゼーションに対する緩衝材としての役割、あるいは危機への地域的対応の核としての役割を担えなかったのか、という諸矛盾を理論的、かつ歴史的に考察し、東アジア経済協議体(East Asia Economic Caucus: 以下EAEC)という幻の地域主義との比較から、一まとめに語られる地域主義の機能別の類型化を試み、グローバリゼーションに並行して展開されるもう一つの国際関係の潮流を明らかにしたい。

また副次的ではあるが、アジア通貨危機を端緒に、途上国に対するグローバリゼーションのインパクトと、それに対する地域主義の機能とについて検討することは、グローバリゼーションの中で展開されるもう一つの国際関係の潮流を明らかにし、途上国世界の自立的発展の方途を明らかにできるばかりでなく、同時に、今現在ブームのごとく語られている制度としての「東アジア共同体」の諸条件を論じる契機ともなる。

結論として本書は、マレーシアをはじめとする東南アジア諸国のいくつかが、すでに国家レベルにおける持続的発展の諸要件を獲得していると認めるものの、グローバリゼーション下での自立的な発展のためには、さらにグローバル化圧力から国民経済を保護できる既存のASEANとは別の新しい地域主義の構築が地域レベルにおいて必要不可欠であることを明らかにする。また同時に、冷戦後の国際関係で、制度としての地域主義がグローバリゼーションに有効に対応できる国際的セイフティネットとして機能する構造を解明する。そのうえで、本書の結論を敷衍し、余りにも野心的ではあるが、広く途上国全般に応用し得るような自立的で持続的な発展モデルを模索してみたい。

第二節 論文の構成

本書は、問題意識を明確にした序論、本論に当たる三つの部、およびその結果を踏まえた結論により構成される。それぞれの内容は以下の通りである。

第一部・第二部の構成

まず第一部は、本書の議論の前提となる途上国の発展仮説を導くために、アジア通貨危機とそれを予測できなかった従来の東アジア経済論に対する分析を軸に展開される。第一章では、先行研究として、アジアの急速な経済発展を説明した六つの東アジア経済論を市場中心モデル・国家中心モデル・文化中心モデルという三つの理論群に類型化し、それらを詳細に検討する。

それを受けて第二章では、総じてアジア通貨危機を予測できなかった東アジア経済論に対して批判的考察を加える。そのうえで、危機を予見できなかった主要因として、各理論に共通する画一的な分析視角と、それゆえに共通して欠落した二つの分析視角とを明らかにする。各理論に共通する分析視角とは、東アジア経済論の諸論がいずれも地域レベルから団塊的に東アジアの経済発展を説明しようと試みている点である。その一方で、各理論に共通して抜け落ちた視点とは、端的に言えば、第一が国家レベルからの分析視角であり、第二が国際システムレベルからの分析視角である。つまり、一つには、東アジア諸国が団塊的に発展を遂げたとしても、その発展には少なからず経済政策や産業政策、金融政策といった各国固有の政策が存在しており、そうした東アジア各国に個別の事象を検討せずに発展モデルを描くことの陥穽であり、二つには、東アジアの団塊的発展を下支えし、また危機に伴って地域経済全体を破壊した国際関係全体としてのグローバリゼーションの力学を考慮せずに、地域レベルでの発展の共通項だけを抽出して発展モデルを描くことの陥穽である。そのため、過大評価にも過小評価にも陥ることのない、等身大の東アジア地域を推し量るためには、これら二つの視角を補完した重層的な分析が必要となる。

また、この章では、各理論が地域レベルからの分析に偏重した原因に関しても併せて検討する。そして、この地域に広く共通する依存的資本主義発展という成長パターンが、この地域への重層分析を妨げたことを指摘する。そして、これら二つの章による先行研究の結果、等身大の東アジア像を描くために、東アジア経済論に共通の陥穽を補完する形で、途上国の発展仮説つまりは途上国の自立的発展の要件を小括として提示する。

第二部以降は、第一部小括で提示した途上国の発展仮説を順次充足する形で進められる。まず第二部では、東アジア経済論に欠落した国家レベルの分析を時系列的におこなう。ただし、紙幅が限られるため、東アジア各国を個別に分析することは不可能である。よって、特に本書は、マレーシアの国内状況に絞って議論を展開していく。なぜなら、マレーシアが単なる多民族国家ではなく、種族を絶対的評価基準とする特徴的な複合社会を形成しており、途上国に共通の国家国民統合に絡んだ困難さを最も顕著に経験しているからである。さらに、途上国に特有の国内的脆弱性という側面は、とりわけマレーシアに特徴的に内包されており、グローバリゼーション時代における途上国の発展モデルを再考するという本書の問題意識にとって、マレーシアは最適な事例として措定できるからである。また、国家国民統合を(曲がりなりにも)達成した後の経済開発においても、マレーシアは、政治面での権威主義体制と経済面での国家主導型開発をミックスした、この地域に特有の開発パターンを展開して急成長を手にしたが、こうしたアジア型開発パターンが途上国の自立的で持続的な発展に関して果たし得る可能性についても併せて検証できるからである。

第一章では、政治的側面から、マレーシアの国家国民統合について、同国に特有の国家原理であるブミプトラ政策の形成過程を中心に見ていき、同国が植民地支配から戦後新たに独立した新興国家ゆえの脆弱性と多民族国家ゆえの不安定性に直面し、国家瓦解の危機に直面しながらも、積極的格差是正措置であるブミプトラ政策などを展開することによって、安定的な国家システムを確立したことを実証する。

第二章では、経済的側面から、マレーシアがいかにして急速な経済発展を遂げたかについて、既存の開発体制論に依拠するだけではなく、開発体制によって可能となった国家主導型の外資導入策に焦点を当てて論じる。この論点は、特に第一部で指摘したこの地域特有の依存的資本主義発展と少なからず交錯している。にもかかわらずここでは、外資による発展を遂げて経済基盤を確立した同国が、積極的に逆投資へと政策を転換し、途上国経済に特徴的に散見される先進国に依存的な発展形態を、自立的な発展形態へと国民経済レベルで変革している側面を肯定的に論じる。

そして第三章では、社会的側面から、国民の自由を制限して経済発展を遂げたマレーシア社会内部で、発展の果実としての中間層が拡大し、市民社会化が進行して、この階層が権威主義体制批判と民主化運動の担い手として登場している社会変容を見ていく。その結果、経済発展がマレーシア社会内部に、複合社会ゆえの脆弱性とは別の新たな火種を生み出してはいるものの、同国政府が民主化に向けたソフトランディングを着実に進め、上からの民主化を巧みに統御している点を指摘する。その際、とりわけ同国に固有の王制であるスルタン制度(8)とその改革過程に焦点を当て、政権の長期化などを背景に、民主化の遅れた国家とされるマレーシアが、スルタン制という伝統的な価値観の変更によって市民社会化を進め、同時に民主化へと漸新的に移行している側面を強調する。そこから、開発体制下における権威主義と、国家主導型とを軸にする既存の発展パターンとは異なる、市民的諸活力を核とした新しい発展の道が模索されていることを明らかにする。

これら三つの章を総合し、小括では、マレーシアが国家レベルにおいて(社会的側面における問題は未だに不十分な感も否めないものの)グローバリゼーションの時代の中で、十分に自立的で持続的な発展を示す潜在能力を有していることを指摘する。つまり、この小括をヒントに、アジア通貨危機が主として第二の欠落した視点に起因していることが示唆される。そして、東南アジア地域の自立的で持続的な発展を論じるには、国際システム全体からこの地域を分析する視点がより重要であることを主張する。これは同時に、ASEAN諸国における近年の急速な経済発展が決して自律的なものではなく、先進国に依存的な経済構造からの離脱とは等置できないことを意味し、国際システムにおける経済力と経済価値とをめぐる諸国家間とりわけ先進国と途上国間関係が未だに垂直的な不等価交換構造の内側に存在していることを意味する。また、本書は、国内レベルにおいて発展への潜在性を獲得していない(おもにCLMV諸国などの)途上国と、アジア型の開発パターンを修正し、逆投資などによる先進国型の経済システムに追随した産業化に取り組み、さらには市民社会を軸にした経済の活性化を追求するなど、国内レベルにおける安定的政治経済構造を獲得している(マレーシアをはじめとする)東南アジア諸国とを差別化する。そのため、第二部以降においては、後者の諸国家に対して、「先発途上国」という呼称を適宜用い、前者については、「後発国」という呼称を適宜用いることとする。

第三部の構成 (1) ――理論研究

第一部と第二部での検証結果を受け、第三部では、国家レベルにおいて自立的で持続的な発展を示す潜在能力をすでに有していると認められた先発途上国の発展可能性を国際システムレベルから考究する。特に本書は、先発途上国の自立的で持続的な発展に関して、国内レベルよりも国際システムレベルをよりフォーカスしていることから、第三部の構成については適宜各節の内容にも踏み込んで触れておく。

まず最初に、第一部で提示した途上国の発展仮説について、第一章第一節では、国際関係における地域主義の起源と展開を歴史的に跡付け、地域主義がいつの時点にその起源を持ち、どのように展開されてきたのかについて検証する。なぜなら、地域主義がいかなる国際環境下で現出してきたのかを分析することによって、どのような状況下で地域主義が志向、創出され、その構成国が地域主義に対してどのような役割を期待していたのかを直接・間接的に推察することが可能だと考えるからである。

第二節では、地域主義を理論的に捉える。つまり、アジア通貨危機に際してのASEANが、本書の仮定する地域主義の機能や役割と乖離していた点について、先発途上国の自立的発展と地域主義との連関を理論的に検証する必要があるためである。また同時に、ここでの理論的作業は次章でより詳細に地域主義を分析する際に必要となる地域主義の定義・概念・カテゴリーを作り出すうえでの中核となる。したがって、本節は、地域主義を理論的に検証することを通じて、地域主義の機能や役割について検討することを目的とする。

第三節では、第一節と第二節での議論を念頭に、東南アジアを代表するASEAN地域主義に焦点を当て、ASEANがアジア通貨危機に対して(構成国が期待する)地域主義の役割と(本書が仮定する)地域主義の機能とを果たすことのできなかった要因を探る。そのため、既存のASEAN論を再検討しながら、ASEANの存続理由や地域協力政策の停滞原因、あるいは、ポスト冷戦期ASEANの掲げる目標、といった統一見解の存在しないASEANの基本認識について考察を加える。

引き続き第四節では、ASEANの基本認識について統一的見解が存在せず、多様なASEAN認識が存在することに関連して、それらが、ASEANの本質を不変と見る立場と発展的に変化してきたと見る立場とをめぐる齟齬から生じている点を明らかにする。

それを受けて第五節では、アジア通貨危機によって現出したASEAN地域主義の機能不全を念頭に、ASEANの本質に関して、いずれの立場がより的確にASEANの本質を説明し得るかについて歴史的に再検討する。つまり、第三節から第五節にかけての議論は、過小評価でも過大評価でもない、可能な限り等身大のASEAN像を描き出すことで、次章での議論に繋げることを目的としている。

こうした第一章での理論的考察を前提に、第二章では本書の仮定を踏まえて地域主義を再定義する。そして、その定義を軸に、既存の地域主義を細分化し、独自の地域主義モデルを理論的に再構成して提示することを試みる。

まず第一節では、先発途上国の経済発展における地域主義の役割とグローバリゼーションとの相互連関性を国際システムレベルから論じ、ASEAN地域主義の失敗にもかかわらず、先発途上国にとっては地域主義が必要条件である点を強調する。

第二節では、地域主義が極めて曖昧な形で用いられ、その概念に対して時に異論が唱えられたり、その定義をめぐる多様な議論が展開されたりしたことで、地域主義に対する共通の見解が存在しない点に着目する。確かに地域主義という概念は多義的であり、説明困難で複雑な用語ではあるが、地域主義の客観的分析にとっておおよその定義は必要不可欠である。特に既存の多様な定義に対して本書が問題視するのは、いずれの定義も根本的には地理的近接性を前提として定義を進めている点である。なぜなら、もしこうした定義を採用して議論を進めてしまうと、本書が仮定するような地域主義の国際システムにおける動態については、ほとんど何も説明できないからである。よって本節では、比較的良く引用されるハレルとドイッチェの定義を参考にしながら、構成主義の思考プロセスを中心として地域主義を再定義し、地理的近接性とは根本的に異なる地域的意識を軸とした本書独自の定義を提示する。それにより、地域協力の主体が東アジア諸国に限定され、つまりは統合の領域が東アジア地域に限定されて、東アジアという特定の地理的範囲の中で地域主義が深化していくプロセスの必然性を一定程度明らかにできると考えるからである。

第三節では、その定義に従って、一般的に認識されている地域主義をその規模によりメガ・マクロ・サブの三類型に分類し、メガ地域主義とサブ地域主義とが単なる経済的地域化現象に過ぎず、制度としての地域主義とは本質的に異なることを指摘する。

第四節では、アジア通貨危機によって脆弱性を露見したASEANと堅調な地域経済の牽引力として機能するEUとの対比から、マクロ地域主義を域内市場志向型地域主義と域外市場志向型地域主義という二つの形態に類型化する。つまり、ASEANのような域外市場志向型の地域主義は、域内の信頼醸成に多大なる役割を果たし、対外交渉を有利に展開するための域内における対外政策の集約という役割を担い得る反面、そこにはグローバリゼーションから被る外圧を緩和して、自立的で持続的な発展に繋げるための制度的要件は組み込まれておらず、むしろ先進国への依存を前提とする脆弱性を内包している側面を統計的に検証する。すなわち、グローバリゼーションの圧力から途上国経済を保護するためには、ASEANのような域外依存の地域主義では限界があり、域内市場志向型の制度としての地域主義のみが、国際システムにおける先発途上国の自立的発展の可能性を享有することを強調する。それにより、弱小国家同盟としてのASEANの本質が域外依存型という点においては設立当初より不変であることを確認し、ASEAN諸国の急成長をASEAN地域主義の機能の延長線上に位置づけ、ASEAN地域主義を過大評価する傾向が、少なからず冷戦の文脈から生じてきたことも併せて明らかにする。

第五節では、それまでの議論を踏まえ、域外志向型の地域主義と域内志向型の地域主義とをより詳細に比較検討し、「東南アジアのASEAN化」を達成し、名実ともに全東南アジアを代表する地域協力機構の地位を確立したASEANの多様な役割と画期的な成果とを再確認しながらも、同時にASEAN地域主義の持つ限界を明らかにする。そのうえで、東南アジア地域が欧州型の域内志向性の強い地域主義を形成するためには、いかなる条件が必要であるかを議論し、ポスト冷戦の初期段階において形成が志向されたものの、域内のコンセンサスを得られないままに霧散したEAECを取り上げ、このEAECが途上国世界で初発の域内市場志向型地域主義であったことを統計的に実証する。また、東南アジア地域のみならず、広く第三世界にとっての域内市場志向型地域主義形成の潜在的利益が、経済的側面よりも、むしろ政治的側面に存在するメカニズムを検討する。

第三部の構成 (2) ――事例研究

第一章と第二章による理論研究を基に、第三章では、事例研究として先発途上国地域における画期的地域主義構想であったEAECに焦点を当て、既存の地域的枠組みであるASEANを活用したマレーシアの外交過程に着目しつつ、なぜEAEC構想が失敗に終わったのか、について考察する。それにより、第四章で取り上げる現在進行形の東アジア広域協力と、その延長線上に素描される東アジア共同体をめぐる議論に関して、その制度化に向けた諸課題を浮き彫りにすることができ、また同時に、制度化に向けたロードマップを具体的に提示することが可能になると考えられる。

まず第一節では、先発途上国経済の発展コースを事実上拘束している一般特恵関税制度(Generalized System of Preferences: 以下GSP(9))に焦点を当て、ポスト冷戦下でASEAN諸国とアメリカとの通商摩擦が激化していく過程を見ていく。そして、域外市場志向型地域主義としてのASEANの脆弱性が露呈したことを背景に、ASEANに代わる域内市場志向型地域主義としてのEAEC構想が提案されるまでを扱う。

第二節では、グローバリゼーションの拡大が、この地域に脆弱性の認識を共有させ、それがEAECの必要性を醸成して、その成立のためにASEAN諸国がアジア主義やアジア的価値観を地域形成の基盤として活用し、北東アジア三カ国にEAECの必要性を訴求していく一連の外交過程を再検証する。

第三節では、アジア主義やアジア的価値観の台頭と、それに呼応して先進国の側から提示された『文明の衝突』論とのせめぎ合いを見ていく。そのうえで、文明の衝突が、グローバリゼーション下での分業構造からの自立を試みる途上国製のEAECに対する牽制としての意味を併せ持ち、良好な市場としての東アジア地域をグローバルな国際システム下に収斂させたいアメリカの国益と不可分に展開されている側面を明らかにする。

第四節では、アジア的価値観と『文明の衝突』論との対峙の中で、その設立当時から欧米とアジアとの対立を背景として進行してきたAPECを舞台に、マハティールがASEANという対外交渉の看板を最大限に活用し、ASEAN諸国にEAECの必要性を浸透させ、ASEAN外相会議での合意に至る道程を跡付ける。

第五節では、EAECに対するASEAN諸国の合意が達成されたにもかかわらず、その構想が破綻した要因を、日本の離反に焦点を当てて考究する。なぜならば、域内市場志向型地域主義としてのEAEC構想がアジア共通通貨(EMU)の成立をも最終的な視野に入れており、少なからず、東アジアのプロダクトサイクルの起点を成す日本がその中核として位置づけられていたからである。

また小括では、上記の結果明らかになった、日本政府のEAEC離反の背後に存在する欧米志向とアジア志向との相克を明らかにし、結論での先発途上国の自立的発展に関する議論につなげる。

第三部の構成 (3) ――現状分析

第一章から第三章までの議論を下地に、第四章では、現在の東アジア広域協力の展開とその延長線上に語られている東アジア共同体論について検討する。

第一節では、これまでに類を見ない速度で進展している現在の東アジア広域協力について、この地域を取り巻く政経環境の変化に照らしながら、その背景と展開を整理する。

第二節では、東アジアを取り巻く状況の変化が域内諸国の経済的相互依存を推し進め、広域協力の具体化を後押ししているのに加えて、そうした経済分野における協力の深化が同時に非経済分野における新たなイシューとしての非伝統的安全保障の問題を台頭させ、東アジアの地域協力をさらに推し進めている側面を描写する。

第三節では、それでもなお、同地域における協力の枠組みは未だに流動的で、かつ具体的構想が欠落している現状を指摘する。そのうえで、現在の東アジア広域協力を主導するASEAN+3(以下APT)が、その主旨、目的、メンバーシップといった諸側面に関して破綻したEAEC構想と極めて近似している点を示唆する。

第四節では、EAEC構想と現在のAPTの枠組みが近似しているとしてもなお、現在の東アジアを取り巻く状況はEAEC当時とは大きく異なっており、EAEC構想に消極的であった日本についても現在の東アジア広域協力への立ち位置が、とりわけ「脆弱性」の観点から見て大きく変容している側面を明らかにする。

さらに第五節では、そうした日本が、現在の東アジア広域協力を制度としての東アジア共同体へと深化させるために果たし得る役割について、一つにはアメリカ・ファクターを、二つにはチャイナ・ファクターを、三つにはアセアン・ファクターをそれぞれ軸としながら考究し、併せて、東アジア共同体に向けたロードマップと、この地域が乗り越えるべきハードルについて詳細に検討する。

その総括として結論では、本書における先行研究、理論研究、事例研究の結果を踏まえ、グローバリゼーション時代における途上国の持続的で自立的な経済発展にとって、域内市場志向型地域主義の形成が必要不可欠なプロセスであることを再確認する。そのうえで、その先駆けとなったEAEC構想は失敗したが、本書がこの地域と諸国に対して、先発途上国地域・先発途上国という用語を与えたことからも明らかなように、東南アジア諸国が国家レベルにおいてすでに十分な発展のファンダメンタルズを獲得していることに加え、同時に域内市場志向型地域主義の形成可能性も他のどの途上国地域よりも高いことを再度説明する。

つまり、現在におけるAPTを中心的枠組みとした一連の東アジア共同体論は、自立的で持続的な発展を求め、域内市場志向型の制度としての東アジア共同体を必要とするASEANによって牽引されている。アジア地域におけるEU型地域主義の形成は、日本の参加にその成否が大きく委ねられており、ASEANが東アジア共同体に日本を含めた北東アジア三カ国を縫合していくためには、東南アジア諸国の意思をASEAN共同体というより強固なASEAN地域主義に集約しながら、対日外交をはじめとする対北東アジア外交を推進していくことが必要不可欠であることを主張する。そのうえで、二一世紀における東南アジア諸国の自立的で持続的な経済発展の可能性を、広く途上国世界における域内市場志向型地域主義の役割と等置させつつ展望し、途上国の自立的で持続的な発展モデルを敷衍していく。

本書は、おおよそ以上のような構成で展開される。それにより、グローバリゼーションと地域主義との相互連関を、マレーシア(国家レベル)とASEAN(地域レベル)とに焦点を当てて考究し、一つには、途上国世界の脱従属化の過程を明らかにし、二つには、その過程で地域主義もしくは地域統合がどんな役割を果たすことができるのか、そして果たすべきであるのかを明らかにしてみたい。

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