北東アジア学創成シリーズ 2 北東アジアと朝鮮半島研究

福原裕二

グローバル化した世界状況にあって普遍性を追究する立場から、「朝鮮半島問題」としての韓国・北朝鮮における秩序構想・統一・民族主義を論じ、竹島/独島問題を通して課題解決への展望を模索する。(2015.7.20)

定価 (本体4,600円 + 税)

ISBN978-4-87791-270-3 C3031 267頁

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目次

著者紹介

福原裕二(ふくはら・ゆうじ)

島根県立大学大学院北東アジア開発研究科/総合政策学部准教授、同北東アジア地域研究センター副センター長。

専門は、北東アジア国際関係史、現代韓国朝鮮政治外交論、朝鮮半島地域研究。

博士(学術)。

主著として、『現代アジアの女性たち』(共編、新水社、2014年)、『たけしまに暮らした日本人たち』(風響社、2013年)、『日本・中国からみた朝鮮半島問題』(共編、国際書院、2007年)などがある。

まえがき

はじめに

“地域研究"のあり方が曲がり角に差し掛かっている、と言われて久しい。このことは、いみじくも平野健一郎氏が指摘されているように、「特権」を喪失した地域研究が、グローバル化した世界の状況の中で(と言うよりもそうした状況であるが故に)、全体性と重層性、越境性を意識しつつ、いかに「全体」を見通せるような普遍的研究たりうるかという、学問的な暗中模索と可能性のただなかにあるということを意味している1。のみならず、とりわけここでの研究対象であるところの朝鮮半島は、その動向がドラスティックであるだけでなく、国際関係の中でローカルな立場からリージョナルな立場へと存在感・影響力を急速に増しつつあり、さらに米中二強時代へと転換する予兆のグローバルな動きに対して、先取的かつ能動的な変化を見せつつある。そうした朝鮮半島「地域」を「研究」することの意義と目的、その据えるべき視点や方法論などが問われているということも意味しているのではないかと思う。奇しくもそのような考えを有する筆者がその曲がり角に直面している時点が、戦後70年・日韓国交正常化50年と重なっている。

さて、島根県立大学(北東アジア地域研究センター[NEARセンター])における「北東アジア研究/北東アジア学創成」の歩みや具体的な展開については、本シリーズ(北東アジア学創成シリーズ)第1巻の『北東アジア学への道』(宇野重昭)第2編第3章に詳しい。その歩みや展開に中途からではあるが寄り添ってきた筆者が考えるに、「北東アジア研究/北東アジア学」の志向性は、従来の北東アジア個別の地域研究と、ここ20年くらいの蓄積を持つ東アジア研究、北東アジア経済圏研究ならびに北東アジア地域安全保障圏研究などを総称する視点を確立していこうとするところにあるのではないか。言い換えれば、北東アジア地域を相対的かつ社会科学的に分析し、問題解決の方法を理性的に探究していこうとする従来の地域研究の発想に基礎を置きつつも、現実・現在的な要請に伴って立ち現れている「北東アジア」という地域、そしてそこで繰り広げられている諸現象や動態、そこに内在する問題点に直面し、いかにこの地域の「発展と共生」という目標に向かって、超域的な視点(何らかの“域"を超えて運動する事象や主体の拡散と収斂に着目すること)でもって捉えていくかという方法を確立しようとするところにあると言えるのではないかと考えている。

このように言う時、従来の地域研究を乗り越えなければならないとする必然性、つまり現実・現在的要請とは何を意味するのかと言えば、依然として北東アジア地域に圧倒的なプレゼンスを有しているアメリカや、域内の諸関係が未だにナショナリスティックな自己主張のに彩られていることを認知した上で、次のような見過ごしにできない様々な動態が浮き彫りになっていることであろうと思われる。第1に、地域の内部には国家の論理やニーズに取り込まれるのではなく、市民社会の形成の論理やニーズに即した動き、提携が垣間見られるという現実・現在。第2に、地域における問題の所在を前提にして、地域が地域として対処しようとする構想が生じ、そのために地域が浮かび上がってきているという現実・現在。第3に、従来の地域研究では、域内における歴史的意味やその関係性、現象、動態を捉えきることができないという地域研究の状況性とでも言うべき現実・現在などである。

やや大風呂敷を広げ過ぎているような感は否めないものの、本書は以上のようなある種一般的な問題意識を踏まえつつ、筆者の個人的問題意識を強く押し出しながら、北東アジア学構築へ向けて朝鮮半島地域研究がどのような貢献をなしうるかを考察してみた試みである。したがって、その内容は実証的な研究に基づく事実の定立や何らかの論を立てようとするものではなく、いくつかの問題提起をおこなおうとするものである。具体的には、まず従来の日本と朝鮮半島の関係の一端を批判的に考察した上で、「近接性の齟齬」と本書で呼ぶ惰性的な関係のあり方を抽出し、議論の俎上に載せる。そうしてこの関係を再構成していくためには、どのような朝鮮半島の「理解」が可能であり、これに即してその過去の歩みと「現在」を捉えうることができるかということに考察を及ぼす。さらにこうした「理解」や把握に基づいて、現今において横たわるある問題を筆者なりの方法で事例的に分析すると、いかなる新たな課題や展望が抽出されるのかを提示する。このような作業を通じて、曲がり角にある朝鮮半島地域研究のあり方について問題提起をおこなっているというのが本書の大まかな全体像である。とはいえ、かかる問題提起は、筆者が所属する大学や研究機関を代表する見解ではなく、あくまで筆者個人の考えの下に展開されているものであり、したがってもちろんすべての記述内容の責は筆者個人が負うべきものであることは言うまでもない。

そうした本書は、ほぼ書き下ろしと言ってよい体裁や内容となっているが、その一部は既発表の次の諸論考を下地にしている。第2章: 「通底する『朝鮮半島問題』の論理―朝鮮民主主義人民共和国の核兵器開発と竹島/独島」湯山トミ子/宇野重昭編著『アジアからの世界史像の構築―新しいアイデンティティを求めて』東方書店、2014年。第3章: 「韓国における『北東アジア中心国家』構想の萌芽―金大中政権期の北東アジア外交の神髄」宇野重昭・江口伸吾編『北東アジア学創成に向けてIII』島根県立大学北東アジア学創成プロジェクト、2006年。第4章: 「北東アジアの中の北朝鮮」宇野重昭編『北東アジア学創成に向けてII』島根県立大学北東アジア学創成プロジェクト、2005年。第6章: 「竹島/独島研究における第三の視角」上田崇仁・崔錫栄・上水流久彦・中村八重編『交渉する東アジア―近代から現代まで』風響社、2010年。第7章: 「漁業問題と領土問題の交錯」『北東アジア研究』第23号、2012年3月。

本書で筆者は、このシリーズの編集方針に即して、大学生・大学院生・市民の人びとを対象に朝鮮半島研究とは何かについて、可能な限り平易な文章と内容になるよう努めたつもりである。しかしながら筆者は、これから述べていく事柄について、賛同を求めているわけではないし、一部の記述をあげつらってその当否を議論したいわけでもない。ここでの問題提起を通じて学問(学び習う「学習」ではなく、学び問い問われること)をおこないたいだけであり、さらに言えば自らにも突き付けているこの問題提起を踏まえて、さらに一歩進んだ創論をおこないたいだけである。本書がこのような知性に基づく学術的議論のたたき台になることを願うばかりである。

あとがき

あとがき

「あとがき」の冒頭で書くべきことは、すでに1年以上も前から決まっている。色々と言い訳はあるにしても、本書の脱稿が著しく遅延をし、そのことで関係者のみなさまに多大なご迷惑をおかけしたことに対する陳謝である。ここで改めてお詫び申し上げたいと思う。

さて、本書のようなささやかな小論を披瀝したものであっても、その成り立ちにはいくつかのバックグラウンドがある。第1に挙げなければならないのは、NEARセンターの「日韓・日朝交流史研究会」の活動である。2005年度から始まったこの活動は、日本・朝鮮半島関係の歴史とそれをめぐる国際関係を追究するとともに、その分野における国際的な学術交流の展開を目的に現在まで継続して進められている。昨年度までにこの研究会は38回開催され、国内外から延べ85名の報告者が集い、真摯な研究と活発な議論、闊達な学術交流を積み重ねてきた。そこでの筆者自身の報告とこれに対する忌憚のない批判及び応答(そしてその後の思案)、また先端的業績を惜しみなく開陳いただいた85本の興味深い報告の筆者なりの吸収が本書の血肉となっている。

筆者に対して朝鮮半島にとどまらず、北東アジアの諸国家やその国際関係を意識した視点を持つよう常に迫るのは、「北東アジア研究会」の活動と、筆者がオムニバスで担当している大学院の講義科目「北東アジア超域研究総論」での講義および議論である。これを第2に挙げておきたい。北東アジア研究会の緊張感あふれる研究報告とそこでの議論は、リージョナルな視点だけでなく、地域諸国家との意外な比較の考察ポイントやディシプリンに拘泥することの愚かさをしばしば教えてくれる。また北東アジア超域研究総論では、毎年3人の同僚(井上治先生、江口伸吾先生、林裕明先生)および受講大学院生とともに、未だ視角・方法論として形成途上の「超域研究」をめぐってその理解や構想をたたかわせている。そこでの討論ならぬ闘論は、翻って朝鮮半島において、何らかの域を超えて運動する事象や主体の拡散と収斂する動態とは何であるか、それを捉えることによって何が見え、どんな意義ある地域研究を展開することができるのかを試行錯誤する契機となっている。それらの場での思考の実践が本書にも取り込まれている。そのほかにも、柔軟な思考を失いかけると常に異なった視野を開かせてくれる市民研究員の人びととの対話や、現場主義をモットーとする筆者が現地で出会い触発された言辞など、多くの知見が本書の基礎を固めているが、冗長になりそうなのでこのくらいにしておこう。

今こうして、ようやく「北東アジアと朝鮮半島研究」なる問題提起をおこない、「あとがき」を書いているが、率直に言って、本書の執筆は当初から今まで「荷が重い」との感慨に終始する過程であった。朝鮮半島のことを専門的に勉強し始めて20年足らず、しかも朝鮮半島研究の立場から北東アジア学の構築について考え始めてから10年足らずの若輩者の筆者にとっては、“北東アジア学創成シリーズ"において何が言えるだろうかと未だ思案をめぐらせている中途だからである。それでも、未成熟の雑文を何とか一つの形にすることができたのは、研究環境の充実に努め、研究に関わる筆者のわがままな要求と怠惰な事務仕事に対して、これに応え、補完してくれる大学事務局の存在、また研究を愛する多くの同僚たちや学問に妥協を許さない研究仲間など、多くの側面で恵まれた状況に置かれているからであろう。紙幅の都合によりその恩恵のすべてを謝して記すことは叶わないが、この場を借りてお礼を申し上げたい。

その中でも、専門とする対象地域は異なるものの、筆者が心から恩師と呼ぶお二人の先生にはこの場で謝意を表することをお許しいただきたい。広島大学の吉村慎太郎先生は、筆者が大学院生の時からこんにちまで、研究者はどうあるべきかを時には面と向かって、時には背中で教示し続けて下さっている憧れの存在である。のみならず輻輳する国際関係の歴史を立体的に描くとはどういうことかを、今もって精力的な執筆活動を通じて筆者に示して下さっている。先生は時々、研究者としての厳しさを恩師のお一人である板垣雄三先生から学び、教育者としての優しさと懐の深さをもうお一人の恩師である中村平治先生から学び、そのお二人の恩師の資質を兼ね備えた研究者・教育者を目指しておられると語るが、筆者にとって先生はすでにそうした研究者・教育者の見本である。全くの偶然であるが、本書は先生の還暦の年に刊行されることになる。ちょうど良い時機に先生から受けた学恩に本書が少しでも報いることになればと思うと書けば、先生に怒られるであろうか。

筆者が所属する大学の名誉学長である宇野重昭先生は、本書(及び本シリーズ)の生みの親であり、未だ北東アジア学を第一線で牽引されていらっしゃる巨人であるとともに、筆者にとっては北東アジア地域の広がりの中で、朝鮮半島を分析することの深みと重要性を教えていただいた大恩人である。のみならず先生は、ご自身が世界的に著名な国際政治学者であるだけでなく、多くの優れた後進を育て上げてこられたことからも知られるように、指導・鞭撻の達人である。筆者の場合、天の邪鬼な性格を見抜かれ、先生の前で研究報告を初めておこなった際に、「福原さんは案外詰まらない研究をされているのですね」と看破されたことが、今もって研究の推進力の一つになっている。本書は先生のご指導の下に、朝鮮半島の動態の一端と朝鮮半島研究に対する筆者なりの見解を何とかまとめ上げた中間的成果に過ぎないものであるが、いくらかは指導した甲斐があったなと思って下さることを願うばかりである。

末筆で恐縮ではあるが、本書が刊行にまで漕ぎ着け、馬子にも衣装の体裁を整えることができているのは、及ぶべくもなく国際書院の石井彰社長の忍耐とご尽力のお陰である。その海容なお人柄と編集者としての真摯なご姿勢に触れることができたことに対して、改めて衷心より感謝申し上げたい。また本書(及び本シリーズ)の刊行は、「北東アジア研究/北東アジア学創成」に深い理解を持ち、大学を挙げて取り組む島根県立大学の特別な資金的配慮によって可能となっている。このことについて特筆し、本書の筆を擱く。

2015年4月

福原裕二

索引

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