法文化(歴史・比較・情報)叢書 16 刑罰をめぐる法文化

高塩博 編

監獄改良論における思想的基盤、清朝時代の裁判と刑罰、近世・近代刑事法改革での量刑論・罪刑均衡論、刑罰文化を踏まえたスウェーデンにおける刑法理論など刑罰をめぐる法文化をみる。(2018.10.1)

定価 (本体3,600円 + 税)

ISBN978-4-87791-293-2 C3032 263頁

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目次

著者紹介

編者・執筆者紹介*は編者

高塩 博(たかしお・ひろし)*
1948年生まれ。國學院大學法学研究科博士課程単位取得。法学博士(國學院大學)。國學院大學法学部教授(日本法制史専攻)。
主な業績: 『江戸時代の法とその周縁―吉宗と重賢と定信と―』(汲古書院、2004年)、『近世刑罰制度論考―社会復帰をめざす自由刑―』(成文堂、2013年)、『江戸幕府法の基礎的研究』論考篇・史料篇(汲古書院、2017年)など
現在の関心: 江戸時代の幕府法および藩法、江戸時代の刑罰制度など。
髙田久実(たかだ・くみ)
1987年生まれ。慶應義塾大学大学院法学研究科後期博士課程単位取得退学。武蔵野学院大学国際コミュニケーション学部専任講師(日本近代法史専攻)。
主な業績: 「拷問制度と旧刑法典の編纂―偽証と誣告の狭間に―」『司法法制部季報』142号(2016年)、「明治初年期における“紙幣"の法秩序―断罪無正条条例の規範形成機能―」林康史編著『法文化叢書第13巻貨幣と通貨の法文化』(国際書院、2016年)、「刑事裁判費用制度成立小史」『司法法制部季報』144号(2017年)。
現在の関心: 近代日本の法典編纂、刑事法史。
児玉圭司(こだま・けいじ)
1977年生まれ。慶應義塾大学大学院法学研究科後期博士課程単位取得退学。舞鶴工業高等専門学校人文科学部門教授(日本近代法史専攻)。
主な業績: 「明治前期の監獄における規律の導入と展開」『法制史研究』64号(2015年)
「人足寄場をめぐる言説空間」岩谷十郎編『再帰する法文化』(国際書院、2016年)など。
現在の関心: 明治期における監獄制度の形成過程、戦前の日本における監獄学(刑事政策学)の継受・確立過程など。
赤城美恵子(あかぎ・みえこ)
1975年生まれ。東北大学大学院法学研究科博士後期課程基礎法学専攻修了。博士(法学)。帝京大学法学部准教授(法制史専攻)。
主な業績: 「清朝初期における「恤刑」(五年審録)について」『東洋文化研究所紀要』152冊(2007年)、「清代における秋審判断の構造―犯罪評価体系の再構成」『法制史研究』63号(2014年)、「清朝前期における熱審について」『帝京法学』30巻1号(2016年)ほか。
現在の関心: 清朝時代における司法システムの変容。
王 雲海(Wang Yunhai)
1960年生まれ。法学博士。一橋大学大学院法学研究科教授(刑事法・比較刑事法専攻)。主な業績: 『日本の刑罰は重いか軽いか』(集英社新書、2008年)、『賄賂はなぜ中国で死罪なのか』(国際書院、2013年)、Wang Yunhai, Liang Bin, Lu Hong and other co-authors, The death Penalty in China: Policy, Practice, and Reform, (Columbia University Press, 2016)。
現在の関心: 情報技術の発達と普及のなかで国家権力・「官意」と大衆主義・「民意」との無原則的結合により進んでいる「厳罰化」・「氾罰化」の現象に対する法社会学的・法文化論的解明、および、法治主義・「法意」に基づく刑事法・刑事罰の再人道化・再文明化・再合理化の提唱である。
藤原 凛(ふじわら・りん)
1983年生まれ。一橋大学大学院法学研究科博士課程修了、博士(法学)。函館大学商学部専任講師(刑事法、比較法専攻)。
主な業績: 「韓国における陪審員裁判の導入と施行ー司法改革の文脈の中で」(翻訳)『東アジアにおける市民の刑事参加』(国際書院、2011年)、「韓国の死刑執行停止に関する研究(1)」『一橋法学』第14巻第3号(一橋大学大学院法学研究科、2015年)、「韓国の死刑執行停止に関する研究(2・完)」『一橋法学』第15巻第1号(一橋大学大学院法学研究科2016)、「韓国における死刑の執行停止とその後の刑事政策」『一橋法学』第16巻第2号(一橋大学大学院法学研究科、2017年)。
現在の関心: 東アジアにおける企業犯罪と法文化の比較研究、食品安全確保における刑事法の役割ー日本・中国・韓国の異同など。
加藤哲実(かとう・てつみ)
1948年生まれ。早稲田大学大学院法学研究科博士後期課程民事法学専攻単位取得退学。博士(法学)。明治大学法学部教授(法社会学・法社会史専攻)。
主な業績: 『法の社会史ー習俗と法の研究序説ー』(三嶺書房、1991年)、『法社会学』(三嶺書房、1994年)、『宗教的心性と法―イングランド中世の農村と歳市―』(国際書院、2013年)、『市場の法文化』(編著:国際書院、2003年)ほか。
現在の関心: 精神医療におけるコミュニティ・ケア、中世イングランドにおける法習俗。
藤本幸二(ふじもと・こうじ)
1974年生まれ。一橋大学大学院法学研究科修士課程修了、同博士課程修了。博士(法学)。
岩手大学人文社会科学部准教授。西洋法制史専攻。
主な業績: 『ドイツ刑事法の啓蒙主義的改革とPoena Extraordinaria』(国際書院、2006年)、「啓蒙主義的刑事法改革における民事死の位置づけ」眞田芳憲編『生と死の法文化』(国際書院、2010年)、「日本の刑事司法は「中世」に位置づけられるべきか」高橋則夫・只木誠・田中利幸・寺崎嘉博編『刑事法学の未来:長井圓先生古稀記念』(信山社、2017年)。
現在の関心: 刑事再審の思想史的再検討。
松澤 伸(まつざわ・しん)
1968年生まれ。早稲田大学法学部卒業、法学(博士)。早稲田大学法学学術院教授(刑法専攻)。
主な業績: 『機能主義刑法学の理論』(信山社、2001年)、『デンマーク司法運営法』(成文堂、2008年)。
現在の関心: 刑罰の正当化根拠、共犯論、文書偽造罪。

まえがき

刑罰をめぐる法文化

高塩博

本書は、法文化学会の第19回研究大会の成果を基礎としている。同研究大会は、「刑罰の法文化」のテーマのもと、2016年11月19日(土)、國學院大學渋谷キャンパス(130周年記念5号館301教室)において開催された。岩谷十郎理事長の挨拶とともに開会し、開催校の高塩から趣旨説明が行われ、下記の報告がなされた。今大会の報告は、すべてテーマ報告であった(所属は報告時のものである)。

第1報告: 髙田久実氏(中央学院大学)「明治初期財産刑における「贖い」と「刑罰」」

第2報告: 藤本幸二氏(岩手大学)「近世・近代刑事法改革における量刑論と「罪刑均衡」

第3報告: 王雲海氏(一橋大学)「犯罪と刑罰の法文化―中国・日本・米国の比較から―」

第4報告: 松澤伸氏(早稲田大学)「スウェーデンの刑罰理論について―刑罰文化を踏まえた一考察―」

第5報告: 河合幹雄氏(桐蔭横浜大学)「現在日本の一般人と統治者の刑罰観」

「刑罰の法文化」という統一テーマのもとではあるが、5本の報告は題材、地域、時代、研究手法のいずれをとっても多彩なもので、質疑応答も盛んにおこなわれた。申し訳ないことに、時間の制約から質疑をうちきる場面もあった。そのため、懇親会の開始時刻を遅らせる有様であった。

「刑罰」を議論する場合、問題意識、研究者の学問領域、研究手法などによって、分析方法や論点は実に様々である。それ故、本書に収載の8本の論文も多岐にわたっている。

以下、各論文を紹介して序に代えよう。

第1論文の髙田久実氏「旧刑法における罰金刑の成立過程」は、大会報告をもととして更に考察を進めたものである。明治初年の律系刑法典である「新律綱領」「改定律例」には「金銭の剥奪」を内容とする「贖罪」「収贖」という刑罰が存する。また、律系刑法典に代わって明治15年1月1日から施行された「刑法」(以下、「旧刑法」と称す)にも「罰金」「科料」という「金銭の剥奪」を内容とする刑罰が定められている。前者は、様々な事由によって実刑を科すことができない場合に、換刑として金銭を納める刑罰である。後者は、正刑として「旧刑法」に採用された刑罰である。本稿は、この金銭剥奪を内容とする刑罰の連続面と断絶面とを、主として「旧刑法」の編纂過程におけるボアソナードと鶴田皓との議論をつうじて解明しようとしている。

お雇い法律顧問のボアソナードはフランス法を基礎とした主張であり、日本側の編纂責任者である鶴田皓の主張とでは、意見が異なっていた。意見の相違は、資力不足による支払い不能の場合と納付すべき受刑者の死亡の場合、それらの措置をどのようにするかという点において顕著に見られた。両人は、罰金の支払いがなされない場合に、代納および換刑を認めるという点については合意していた。ボアソナードは、支払い能力を欠く場合には換刑として「身代限」を適用すべきことを主張し、納付者死亡の場合には相続財産より納付することを主張した。一方の鶴田皓はこれらを否定した。「母国法に基づく法的思考の差異が存在していた」(56頁)ための相違であるが、「刑法附則」(明治14年12月19日の太政官67号布告)の第20条が罰金、科料の納付以前に犯人死亡の場合は、「之ヲ徴収セス」と定め、「旧刑法」「刑法附則」に「身代限」が定められることがなかったから、結局は鶴田の主張が反映された形となった。とはいうものの、お雇い法律顧問ボアソナードの議論を聴きながら罰金刑についての理解を深め、それを正刑として刑法典に位置付けたわけであって、決して西洋法を排斥したのではないと指摘する。

第2論文の児玉圭司氏「1880年代における監獄改良論者の人脈と思想的基盤について」は、「1880年代(明治13年から同22年)に監獄改良を論じた人々の人脈や、彼らに共有された思想的な基盤」を把握しようとした論文である。1880年代を考察の対象としたのは、次のような理由からである。「西洋法を初めて本格的に継受した刑法典(いわゆる旧刑法)が1880(明治13)年に公布され、これに合わせる形で1881(明治14)年9月に「監獄則」が改定されたこと」(67~68頁)を始期としてとらえ、終期をお雇い外国人のゼーバッハが来日した1889(明治22)年11月とする。それは、翌年4月より監獄官練習所においてゼーバッハがドイツ監獄学の教授を開始したことにより、同年以降、日本の監獄改良論をとりまく状況に変化がおとずれるからである。

はじめに、明治14年監獄則、同22年監獄則における外国法受容に関し、新知見を提示して従来の見解に修正をせまる。すなわち、14年監獄則が小野田元熈の報告書に影響を受けたフランス・ベルギー法制の引き写しではないこと、22年監獄則が小河滋次郎によるドイツ監獄法制の直接的な継受ではなかったことを指摘する。

つづいて、監獄改良論者の人脈を、(1)大日本監獄協会の主要構成員、(2)司法省・内務省など政府部内において英仏監獄論の翻訳と調査に携わった人々、(3)明治13年から15年にかけての感化院設立運動にかかわった人々、(4)東京府会議員と代言人などに探り、(1)の中に、司法省・内務省の関係者、感化事業への協力者・賛同者、嚶鳴社や共存同衆・東京大学などで英米思想に触れた人々、仏教やキリスト教など信仰に根ざした活動に従事する人々といった各層が存在することを指摘する。

最後に、小原重哉、穂積陳重、市島謙吉、江木衷の著作などを検討することを通じて、「行刑史研究において従来あまり注目されてこなかったベンサムやスペンサーといった英米思想の影響が、同時代の監獄改良論に少なからず影響を与えている可能性」(87頁)を指摘した。

第3論文の赤城美恵子氏「清朝時代の裁判と刑罰―「五年審録」、「熱審」、「朝審」・「秋審」から―」は、清朝時代における刑事手続きである「五年審録」と「熱審」、および「朝審」・「秋審」を考察対象とした論文である。唐王朝以来の沿革を視野にいれながら、その内容を明らかとし、制度としての消長を追究するとともに、裁判制度上における意義などを考察した論文である。

「五年審録」とは、五年に一度、刑事司法をつかさどる中央の役所である刑部・大理寺から、地方各省に「恤刑官」という役人を派遣して司法行政を監察させる制度である。その監察により、笞罪囚については放免し、「軍流」以下の罪囚については機械的に減軽して刑を執行する。また、死罪囚については、次のような2通りの処遇に仕分けられる。第1は「情実罪当」の場合であり、これまで通りに収監する。第2は「可矜(罪状にあわれむべき点がある)」「可疑(罪状にうたがうべき点がある)」場合、および証拠・証人が無くて判断を下せない事案について恤刑官の審理によって地方官の原案を変更する場合であり、これらの場合には、皇帝にその旨を報告して指示を仰ぐという措置がとられる。「熱審」とは、4月半ばころより立秋前日まで間に、罪囚の刑罰を減免する制度であり、笞罪については放免、「軍流」以下は減刑して執行、死罪囚については「可矜」「可疑」に該当すれば皇帝に報告して判断を仰いだ。「五年審録」と「熱審」は、唐王朝以来、元王朝まで用いられてきた「疑罪」に代替する手続きとして採用された制度であり、清朝における目的は滞獄の解消である。しかし、「五年審録」は康煕初年に廃止となり、「熱審」は雍正3年(1725)までにその適用範囲が大幅に縮減されたと指摘する。

「朝審」「秋審」とは、秋後処決の死刑囚を刑に処すべきであるかを改めて審査する制度であり、京師事案を「朝審」と称し、地方事案を「秋審」という。秋後処決の死刑囚は、「朝審」において死刑執行相当の「情真」と減軽ないしは再審理相当とする「可矜」「可疑」とに分類された。「秋審」においても「朝審」と同じく分類されたが、「情真」のうち「罪重」と判断された死罪囚については刑を執行し、それ以外は皇帝に上申して判断を仰いだ。

本論文は清朝のおけるこの制度の変容についても考察を加えている。死刑判決の確定後、朝審・秋審によってその判決を改めて審査するという仕組みは、清朝における刑事司法の特徴と言えるであろう。

第4論文の王雲海氏「文化としての犯罪、刑罰、死刑―日本と中国の比較を通じて―」は、「文化とは何か、法文化とは何か、ひいては、どこの社会でも文化、法文化があって、等しく法律と関係があるのか」という問いのもと、(1)「犯罪」・「犯罪観」、(2)「刑罰」・「刑罰観」、(3)「死刑」・「死刑観」について、日本と中国を比較する。その結果、次のように分析する。

日本の(1)は「質」的観念であって、刑事法または刑事政策は「広くて軽い」という特徴をもつ。つまり、犯罪とされる行為の範囲が極めて広いが、「犯罪」と認定されてもすぐに重い刑罰が科される訳ではない。一方、中国の(1)は、「狭くて重い」という特徴が存する。すなわち、「犯罪」は「質」+「量」の統一体であって、「量」・「程度」が犯罪の成立にとって重要であり、よほど大きな違法行為でないと「犯罪」とはされない。しかし、「犯罪」と認定された際にはすぐに重い刑罰が科せられるのである。

日本の(2)に関しては、司法機関などによって言い渡される「見える刑罰」はかなり軽いけれども、「見えざる刑罰」としての社会的効果がかなり重いという特徴が存する。片や中国の(2)は、日本とは逆の特徴が見られる。すなわち、「見える刑罰」はかなり重いけれども、「見えざる刑罰」はかなり軽いのである。それは、中国社会における罰は、その意義が主に刑事司法機関にとって実現されており、一般国民にとっては大きな意義を持たないからである。

(3)をめぐる情勢・局面は、日本と中国とで全く逆である。日本においては、死刑を決して多用しない一方、それを廃止しようとは決してしない。中国においては、法の改正によって死刑適用を減少させつつあるも、依然として世界で最も死刑を多用している。

日本と中国との違いについて、「社会体制論」や「文化論」をもってしては説明ができない。社会の原点は何か、その社会における最も通じる社会力を見る「社会特質論」をもって説明が可能である。その「社会特質論」によると、日本は「文化社会」であり、中国は「権力社会」である。この社会特質の差異が(1)(2)(3)の差異を生み出しているというのである。「文化社会」「権力社会」の内容については本文をお読みいただくとして、著者は最後に、「「文化」・「法文化」が果たしてどこの社会でも存在する共通的・普遍的なものなのかという疑問」(147頁)を提起する。

第5論文の藤原凛氏「企業犯罪から見る韓国の法文化」は、法文化の定義を「法律の背後にある構成員の法意識」(174頁)とした上で、財閥企業の企業犯罪に対する韓国国民の法文化を追究したものである。まず、法人犯罪の検察処理件数を統計によって示し、法人犯罪の件数が減少しているのにもかかわらず、公判請求が増加しているという近年の傾向に着目する。

次に、現代自動車グループ会長の横領背任事件、サムスングループ会長の背任脱税事件、Hanwhaグループ会長の背任脱税事件、SKグループ会長の横領事件などの韓国財閥の企業犯罪6件(うち1件は判決未確定)の判例を分析することを通じて、財閥犯罪の10の特徴を抽出する。それらは、(1)財閥企業の企業犯罪は、企業のトップによる計画的な犯行であること、(2)その犯罪は、横領・背任・脱税・賄賂といった伝統的な犯罪類型の一つ、もしくは複数を犯していること、(3)その財閥企業は、犯行後も資産を増やし続け、国内における資産順位も上昇させていること、(4)懲役3年、執行猶予5年以下の判決を言い渡される確率が非常に高く、実刑判決の場合も、何らかの方法により収監期間が短くなっていること、(5)恩赦が必ず適用されていること、(6)有罪判決を受けた財閥企業のトップは、なんらの阻害要因もなく経営に復帰していることなどである。

これらの財閥犯罪の特徴を捉えて、財閥企業の法意識は、「粉飾決算が社会的な非難に値する違法行為であるという認識さえ共有されなかった」70年代の時期にとどまっていると読み解く(174頁)。一方、グローバル化した情報社会に生きる韓国国民は、大企業においてはその規模に見合った社会的責任が存するということをすでに学習している。それ故、韓国の一般国民の非難は、財閥一家の非倫理的な経営手法と非常識な行動の数々に向けられているのであり、その法意識は「反財閥」といってよいと指摘する。

第6論文の加藤哲実氏「中世イングランドにおける窃盗罪と刑罰」は、国王裁判所の記録7点と荘園裁判所の記録14点の分析を通じ、窃盗犯罪について、国王裁判所の訴訟手続きと対比しつつ、主として荘園裁判所における訴訟手続きを解明する。

中世イングランドにおける窃盗犯罪について、国王裁判所における訴訟手続きはコモン・ローに基づくが、地方の荘園裁判所における手続きはコモン・ローの影響を受けつつも、地域に固有の慣習法に基づいて行われていた。(1)荘園裁判所における私訴追の登場人物、盗品の種類を示した後、(2)告訴人の被告人に対する私訴追の手続きに始まって、(12)裁判官である執事ないし荘官による判決の宣言、(13)刑罰の執行までの手続きを史料に依拠して明示し、(1)~(13)について解説を加えて多くの興味深い事実を指摘する。

その考察によると、荘園裁判所の裁判は実質的に村の裁判であった。村内に発生した刑事事件は、村共同体の人々の心を不安な状態にする出来事であり、裁判に対する村人の関心は強く、村人が裁判に立ち会うのが当然のことであった。したがって、その刑事裁判には幾つかの点において共同体的な様相を垣間見ることができるという。

荘園裁判所における手続きで、注目すべきは、陪審による厳罰軽減の事実が指摘されていることである。盗みの金額が12ペンス以上であって死刑相当の重窃盗事件において、これが陪審の評決によって10ペンスの軽窃盗となり、死刑が回避されたのである。「軽々しく死刑をおこなわない慣行が陪審を中心に中世イングランドの刑事裁判においてゆきわたっていたように思われる」(194頁)というのである。中世イングランドにおいては、国王裁判所レベルでも荘園裁判所のレベルでも、固有の刑罰文化が存在していたと指摘する。

第7論文の藤本幸二氏「近世・近代刑事法改革における量刑論と罪刑均衡」は、16世紀バムベルゲンシスおよびカロリーナの両刑事法典、17世紀の刑事法学者ベネディクト・カルプツォフ、18世紀の刑事法学者カール・フェルナンド・ホンメルを考察の対象として、ドイツにおける量刑論と罪刑均衡の理論について分析を加えしたものである。

カロリーナ法典は、その第105条に「一定の要件が満たされた場合に、裁判官が己の裁量に従い、法定刑から減軽された刑罰を科すことを可能にする制度」(218頁)であるPoena extraordinaria(「例外刑」)について定めている。この条文は、「正義の尊重及び公益への配慮」に基づいた科刑を正当化し、科刑の程度は「犯行の状況及び重大性」に応じていることを求めた。この条文こそが、続く時代の刑事法学者たちが犯罪と刑罰の均衡を追究する契機となったものである。

カルプツォフは『新ザクセン刑事実務』を著して、カロリーナ刑事法典とザクセンの裁判慣行を主な法源とした刑事法理論を展開し、継受ローマ法のみに依拠することのない「ドイツ刑事法学」を確立した法学者である。彼は、Poena extraordinariaを柔軟に利用することにより、カロリーナ及びその他の法・慣習における法定刑に捉われることなく、責任と罰の均衡の実現に道を開いた。

ホンメルは、拷問および糾問訴訟の廃止に尽力し、ベッカリーアの著書を翻訳したことで知られている。彼の刑事法理論は、自然法および啓蒙主義からの影響を受けており、宗教犯罪や倫理的犯罪の伝統的な意義に対する批判、科刑における寛刑主義を強調することに特色をもつ。その理論は、矯正・改善、威嚇といった目的刑論的な刑罰のあり方を指向しており、近代学派の刑法学を先取りするものであり、その罪刑均衡の議論は画期的であった。

近代刑事法の礎となった啓蒙期の刑事法改革は、過酷な刑罰の濫用に歯止めをかけるという目的意識を有したのであり、そのため、個々の犯罪についてそれぞれの状況に応じた量刑が求められるべきであるという主張を強調したと指摘する。

第8論文の松澤伸氏「スウェーデンの刑罰理論について―刑罰文化を踏まえた一考察―」は、北欧諸国のひとつとして、ヨーロッパ大陸法諸国の中でも独自の法文化を有しているといわれるスウェーデン法の刑罰理論を、その歴史的沿革をたどりながら考察する。スウェーデンの現行刑法典は、「犯罪法典」と名づけられた1962年制定、1964年施行の法律である。この名称は、刑罰と処分を一元化して、これを制裁と呼ぶという発想からきているものであり、この考え方はいわゆる特別予防論の発展と軌を一にする。

スウェーデンはその後、刑罰の予防効果が実証されないことから、特別予防論の限界に直面した。そのため、刑罰を新たな方向からとらえなおし、「新古典主義」と呼ばれる刑罰理論が登場した。この理論は、絶対的応報刑論の単なる焼き直しであるという誤解がみられるが、それとはまったく異なった思想である。「新古典主義」は、「行為を行ったことに対する報いとしての刑罰ではなく、行為の刑罰価値に相応する刑罰を科すことが正義にかなうという思想である」(243頁)。

「新古典主義」の思想により、スウェーデンでは制裁主義から刑罰主義への移行が生じ、1988年、量刑に関する規定が大改正された。量刑は「刑罰価値」に基づくというのが基本的な概念である。刑罰価値の考え方によると、量刑は「犯罪の重要性」および「行為者の責任」によって決定されることとなる。すなわち、「刑罰価値を基礎において、これに均衡する刑罰を科することを量刑の基本原則としている」(247頁)のである。

スウェーデンにおいては、「刑罰価値」に加えて考慮されるべき事情として「衡平理由」という概念が導入されている。(1)重大な身体障害、(2)高齢又は健康不良、(3)時間の経過、(4)罪の有害な作用の防止、(5)自首と犯罪に関する情報提供など9項目にわたる「衡平理由」が存する場合、裁判所は法定刑よりも軽い刑を宣告することができるのである。この「衡平理由」の根拠の一つとして考えられるのが「ヒューマニティ」である。「「ヒューマニティ」という概念は、極めてスウェーデン的、あるいは北欧的な考え方」で、それはすなわち「人間重視の思想、人間を大事にする思想である」(250頁)。この人間重視の思想は、1864年の旧刑法典制定のときにすでに確認されている、スウェーデン刑法における原則であり、それが「犯罪法典」にも受け継がれ、「刑罰価値」に基づく相応刑という考え方にも見られる一貫した思想である。著者は提言として、「明快かつ洗練されたスウェーデン流の均衡原理に基づく量刑理論は、日本においても有効であると考えられ、これを根付かせることも十分に可能であると思われる」と述べている(251頁)。

以上、各論文の紹介を試みたのであるが、曲解や誤解の存することを恐れる。そうであるならば、執筆者および読者にお詫びしなければならない。本書は一定の方向性を示すものではない。興味の赴くところから読み進んでいただければ幸いである。

索引

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