韓国政治の転換点: 「分断」と民主主義の政治力学

李正吉
書影『韓国政治の転換点:』

1987年、韓国の民主化を定めた「6・29宣言」は社会経済的不平等を残したまま「民主主義のルール」を設定したため、韓国民衆は「民主化」以降もさらなる不利益を被ることになった。果たして「6・29宣言」には、いかなる政治的背景が潜んでいるのか。(2020.11.10)

定価 (本体4,500円 + 税)

ISBN978-4-87791-306-9 C3031 311頁

目次

  • 序章
    • 第一節 本書の問題設定
    • 第二節 韓国政治における「分断」と「民主主義」との関係
    • 第三節 韓国政治における「87年民主化」の意義と特徴
    • 第四節 「87年民主化」以後の韓国民主主義
    • 第五節 「87年民主化」の理論的な捉え方
      • (一)「87年民主化」に対する本書の立場
      • (二)「言説分析」の意義と可能性
    • 第六節 本書の構成
  • 第一章 「87年民主化」に関する研究動向と理論的背景
    • 第一節 経済発展の従属変数としての「87年民主化」
      • (一)理論的背景としての近代化理論と発展過程
      • (二)経済発展と「87年民主化」との関係
      • (三)「87年民主化」研究における自律的主体の必要性
    • 第二節 自律的主体の選択による「87年民主化」
      • (一)近代化理論に対する対案としてのアクター中心理論と発展過程
      • (二)自律的主体の選択から見た「87年民主化」
      • (三)自律的主体の選択に対する根拠提示の必要性
    • 第三節 自律的主体の選択に対する根拠提示のための分岐
      • (一)「構造的変化」に基づいた根拠提示と「87年民主化」
      • (二)「状況的変化」に基づいた根拠提示と「87年民主化」
      • (三)「制度的要因」に基づいた根拠提示と「87年民主化」
      • (四)これまでの分析の転換の必要性
    • 第四節 小括
  • 第二章 構造、認識、およびアクターを見据えた「三層領域」への展開
    • 第一節 「87年民主化」に関する既存研究の課題と「三層領域」の必要性
    • 第二節 「87年民主化」研究における「分断」の理論的位置づけ
      • (一)「87年民主化」研究において「分断」概念の必要性
      • (二)「87年民主化」研究において「分断」を取り扱う既存研究
    • 第三節 「三層領域」に基づく分析枠組への展開
      • (一)体制変動の三層領域
      • (二)「社会的合意」の成立・変化過程の七段階モデルと「87年民主化」過程の全体像
    • 第四節 小括
  • 第三章 体制変動の三層領域に基づく軍部権威主義体制の時期区分
    • 第一節 軍部権威主義体制の土台としての「分断」
    • 第二節 軍部権威主義体制の成立・安定期: 1961年~1969年
      • (一)1960年代の軍部政権成立の背景
      • (二)軍部政権の安定的維持
    • 第三節 軍部権威主義体制の動揺期: 1970年~1979年
      • (一)1970年代における構造的状況の変化と「維新体制」の特徴
      • (二)「維新体制」下の反政府運動の拡大
    • 第四節 軍部権威主義体制の崩壊期: 1980年~1987年
      • (一)「安保論理」の有効性喪失
      • (二)軍部による危機状況の捏造
      • (三)崩壊期の軍部政権における三つの変化
    • 第五節 小括
  • 第四章 1980年代における社会的合意の形成・変化過程(I):
  • 「朴正煕大統領暗殺事件」と軍部政権の再樹立
    • 第一節 なぜ「朴正煕大統領暗殺事件」以後の韓国政治は民主化に向かわなかったのか
    • 第二節 「朴正煕大統領暗殺事件」以後の支配勢力と対抗勢力との間の集団的記憶
      • (一)「改憲」に向けた軍部と政治勢力との立場の差: 「12・12事態」
      • (二)「学内民主化」問題と学生勢力の政治闘争への転換
      • (三)支配勢力のシンボル操作と対抗勢力陣営の分裂による学生勢力の政治的孤立
    • 第三節 シンボル操作を通した軍部政権の再樹立の正当化
      • (一)「光州事件」
      • (二)国家保衛非常対策委員会による六つの措置と、「先安保・後政治発展」という社会的合意の形成
    • 第四節 小括
  • 第五章 1980年代における社会的合意の形成・変化過程(II):
  • 「釜山米文化院放火事件」と「自律化措置」
    • 第一節 なぜ支配勢力は「自律化措置」を断行したのか
    • 第二節 「分断」に対する対抗勢力の問題提起としての「釜山米文化院放火事件」
    • 第三節 対抗勢力の問題提起に対する克服方案としての「自律化措置」
      • (一)「釜山米文化院放火事件」後の反政府運動の拡大の兆し
      • (二)民主的正統性確保のための「安保論理」の修正と「自律化措置」
    • 第四節 「先安保・後政治発展」という社会的合意に対する問題提起の拡大と対抗勢力の結集
      • (一)対抗勢力陣営内の組織化
      • (二)「民正党舎占拠示威事件」と「2・12総選挙」を通した対抗勢力陣営の言説領域の拡大
    • 第五節 小括
  • 第六章 1980年代における社会的合意の形成・変化過程(III):
  • 対案形成をめぐる支配勢力と対抗勢力との膠着
    • 第一節 なぜ対案形成は「大統領直接選挙制への改憲」に向けられたか
    • 第二節 支配勢力の混沌と、新しい対案形成に向けた対抗勢力陣営内の内部調整
      • (一)「光州事件」に対する討論の自由化と「ソウル米文化院占拠示威事件」
      • (二)「自律化措置」の放棄と抑圧局面への転換
      • (三)「大統領直接選挙制への改憲」という対案形成のための「一千万改憲署名運動」
    • 第三節 民主化のあり方をめぐる対抗勢力陣営の分裂と「安保」言説の有効性喪失
      • (一)対抗勢力陣営内の分裂様相
      • (二)「5・3仁川事態」後の対抗勢力陣営の変化
      • (三)「10・28建国大学事件」と「大統領直接選挙制への改憲」への対案形成
    • 第四節 小括
  • 第七章 1980年代における社会的合意の形成・変化過程(IV):
  • 新しい社会的合意の形成
    • 第一節 なぜ支配勢力は「大統領直接選挙制への改憲」を受容したのか
    • 第二節 従来型社会的合意の有効性喪失と新しい社会的合意の形成
      • (一)「4・13護憲措置」と反対声明の拡大
    • 第三節 「大統領直接選挙制への改憲」という新しい社会的合意の象徴としての「国民運動本部」
      • (一)最小的・象徴的レベルでの反政府運動
      • (二)学生勢力の「6・10国民大会」への合流
      • (三)新しい社会的合意と「6月抗争」
    • 第四節 小括
  • 終章 「87年民主化」に対する評価とその政治学的意義
  • 参考文献
  • あとがき
  • 索引
  • 著者紹介

著者紹介

  • 2010年9月 名古屋大学大学院法学研究科総合法政専攻博士課程修了
  • 2011年7月~2012年3月 Visiting Scholar, Center for Korea Studies, University of Washington
  • 2012年4月~2016年3月 名古屋大学法学部・大学院法学研究科 特任講師
  • 2014年4月~2018年3月 常葉大学経営学部・埼玉大学教育機構 非常勤講師
  • 2018年6月~現在 人間文化研究機構総合人間文化研究センター 研究員(特任助教)
    • 島根県立大学北東アジア地域研究センター研究員

まえがき

序章

第一節 本書の問題設定

本書は、韓国政治が朝鮮半島の「分断」*1状況の下でも今日のような民主主義を実現できた理由と、民主化以後の韓国民主主義が手続的部分に比べて実践的部分が立ち遅れていた理由を明らかにするために*2、今日の韓国民主主義の土台でもあり、韓国政治の転換点でもある「87年民主化」を分析する。そして「87年民主化」以後の韓国民主主義が実践的部分での発展が立ち遅れていたのは、「分断」状況の持続や1961年軍部クーデターから「87年民主化」以前まで蓄積されていた軍部権威主義体制の遺産*3に起因すると考える。

韓国政治に対する上記の見解を論証するために、本書は、次のような問題を設定する。第一に、1961年5月16日の軍事クーデター以後、韓国政治には1980年と1987年という二度にわたる民主化への移行の機会があった。この二つの移行期では、対抗勢力*4からの要求が等しく「大統領直接選挙制への改憲」という憲法改正および手続的部分のみに限られていたにもかかわらず、一方で1980年には「光州事件」*5が巻き起こり、他方で1987年には支配勢力*6から「6・29宣言」*7を導き出した。このように全く相反した結果となったことをどのように考えるべきか。

第二に、「6・29宣言」の全文をみると、「大統領直接選挙制への改憲」が主たる内容となっているが、そこには「社会経済的不平等問題の是正」という民主主義の実践的部分に関する文言は記載されておらず、ひたすら選挙制度の改正のみが記されている。このことは韓国民主主義の展開にそくして、どのような含意を有するのか。

上記の二つの問題設定は「なぜ韓国の民主化は1980年代に可能であって、民主化のための争点がもっぱら大統領直接選挙制への改憲に制限されていたか」にまとめられる。本書は、この問題設定を踏まえて「87年民主化」に対する議論を進めていく。

第二節 韓国政治における「分断」と「民主主義」との関係

韓国民主主義の起源は、『大韓民国憲法』にも明示しているように、1919年の大韓民国臨時政府樹立まで遡ることができる。とはいえ、主権国家の体制下で民主主義が機能したのは、1948年の政府樹立によってである*8。しかし、そこでの民主主義は、自由と平等、人権と平和、および福祉などを獲得するための人々の問題意識や闘争があったのではなく、朝鮮半島をめぐるソ連との主導権争いの一環として、米国が一方的に植え付けたものであった*9。つまり、政府樹立当時の韓国の人々は、自らの問題意識に依拠して、思想と表現の自由、集会と結社の自由、参政権および労働三権などの諸権利を獲得したわけではない。

そのため、韓国民主主義は「分断」状況の変化によって歪められやすい先天的問題をはらむことになった。たとえば、韓国民主主義は政府樹立以後より、自由、平等、そして人権などの民主主義の主要価値が「安保」*10の下位概念として位置づけられ、このため人々の多元主義的価値の追求や表現も犠牲にされてきたのである*11*12

このように韓国民主主義の展開は、朝鮮半島の「分断」と不可分の関係にある。「分断」とは、植民地解放以後、朝鮮半島に対する米・ソ両国の分割統治に起因し、冷戦が朝鮮半島に内面化されたものであると言える。だが、本書は民主化過程の検討を施すにあたって、「分断」そのものよりも、そこに起因する人々の認識に注目する。その理由として、一つは「分断」という状況が韓国の人々に常態的な「北朝鮮からの脅威」という安保的危機意識を根付かせただけではなく、1987年民主化以前の支配勢力にとって、軍部政権の樹立および維持の根拠となったからである*13。もう一つは、それにもかかわらず、「分断」状況の下でも「87年民主化」が達成できたからである。

韓国政治に対する「分断」の規定のあり方は、民主化以前と民主化以後に分けて論じられる。まず民主化以前をみると、第一に「分断」は、支配勢力にとって、強権的手段で対抗勢力を効率的に抑圧する根拠を提供した。1948年の政府樹立以後、韓国の政治領域は「親米反共」を掲げた保守勢力が独占し、彼らを通して、憲法の主要価値である「自由民主主義」が「反共主義」と同じものとして取り扱われた。このように「反共主義」に枠づけられた韓国政治は、反政府や改革志向的な政策を提示する個人、団体、および政党を「安保」を脅かす勢力と見なし、弾圧してきた。その代表的な例が1958年の「進歩党事件」である。この事件は、1956年5月15日に実施された第3代大統領選挙で進歩党の曺奉岩が支持率30%を獲得したことが発端となった。李承晩政権は、曺奉岩の躍進に危機感を募らせ、北朝鮮と内通したという疑いで彼を逮捕し、国家保安法違反の口実で処刑した*14。このように、支配勢力は「分断」を利用して政敵の粛清作業を行い、自らの政権を強固にしてきた。

第二に「分断」は、軍部の政治介入と憲政中断*15を正当化する根拠を与えた。民主化以前には、三度の憲政中断が生じた。一度目の憲政中断は、「4・19革命」*16によって張勉政権が成立してから、わずか11ヶ月後に起こった。1960年3月15日、李承晩政権は官・軍・警を総動員した不正選挙を行った。それが「4・19革命」の引き金となり、12年間続いた独裁政権の崩壊とともに張勉政権の成立をもたらした。しかし、軍部は張勉政権の混沌状態をやり玉に挙げ、「反共主義国家の確立・祖国近代化」という「分断」を口実とした「安保論理」*17を掲げて、1961年5月16日に軍部クーデターを成功させた。その後、軍部は行政、立法、司法を解体し、それを総括する軍革命委員会を設置した。二度目の憲政中断は、1972年10月17日に生じた。1968年9月14日、朴正熙は政府与党すらも反対していた「大統領三選禁止条項」の改正案を強引に国会で可決させ、1971年4月27日に三回目の大統領選挙で当選を果たした。その後、朴正熙は、1970年代初頭のデタントという世界情勢を口実に、後に来る北朝鮮との平和統一を準備するための「安保総力体制の構築」という「安保論理」を掲げて、「維新体制」*18を立ち上げた。三度目の憲政中断は、1980年5月31日に発生した。1979年10月26日の「朴正熙大統領暗殺事件」*19後、暗殺事件の捜査権を有していた全斗煥(当時、国軍保安司令官)は、軍部内の「一心会(以下、新軍部*20)」とともに、大統領および国防部長官の許可を通さず、12月12日、大統領暗殺犯金載圭(当時、中央情報部長)との関連があるという口実で鄭昇和(当時、戒厳司令官兼陸軍参謀総長)を逮捕した。その後、軍部を掌握した全斗煥と新軍部は「先安保・後政治発展」という「安保論理」を掲げ、1980年5月17日に非常戒厳令を全国へ拡大し、5月18日~27日にかけて光州地域での民主化要求を武力で鎮圧した。そして、1980年5月31日には「国家保衛非常対策委員会」*21を発足し、事実上、行政、立法、司法を無力化させたのである。このように「分断」は、韓国の支配勢力に、北朝鮮との軍事的挑発であれ、国内の反政府運動であれ、あらゆるものを安保的危機状況と同列に捉える根拠を提供し、三度の憲政中断も可能にしたのである。*22

一方、民主化以後、「分断」は韓国政治をどのように規定したのかをみると、第一に、「政党間の離合集散の深化と、選挙における地域主義の深化」が挙げられる。両者は「分断」がもたらしたイデオロギー的閉塞性*23に起因する。前述のように民主化以前までの韓国民主主義は、政府樹立の当初より「反共主義」に代替され、「反共主義」に抵触する異議申し立てができなくなった。そのため、野党の批判は、イデオロギー的なアジェンダではなく、「独裁」という手続的問題のみに止まらざるを得なかった*24。しかし、民主化以後には、「独裁」という政治的対立軸も次第に有効性を失っていった。これは「反共主義」という共通分母を有していた保守政党同士の明確な政策的差異を薄め、政党間の頻繁な離合集散をもたらし、それに沿って国民の投票パターンも各政党のカリスマ的指導者の出身地域に左右されていった*25

第二に、「分断」は、民主化以後も軍部政権の既得権を継承した保守政権*26が自らの支持率低下を克服するための根拠として使われつつあった。民主化以後の保守政権は、自己の支持率低下を公約実践や責任政治の遂行などのような民主的プロセスでの解決ではなく、特定の敵(scape goat)や危機の動員を通して、支持調達を試みた。その際に敵や危機の素材として用いられたのは、北朝鮮の存在そのものやそれが引き起こす核・ミサイル挑発、そして国内の左派勢力であった*27

その例には、2008年~2016年までの李明博・朴槿恵政権が挙げられる。まず、李明博は2007年12月19日「7・4・7政策」*28および「韓半島大運河プロジェクト」*29を掲げて政権を立ち上げた。しかし、政権成立直後、「米国産輸入牛肉波動」*30による国民的反発と、リーマンショックによる「7・4・7政策」の実現不可が明らかになることで、深刻な支持率低下に直面した*31。それを挽回するために、李明博政権は「盧武鉉前大統領およびその側近に対する収賄捜査」、「輸入牛肉反対蝋燭集会に参加していた人々への捜査」を行った。しかも、公約不履行に対する国民の不満が高まっていた際に、折しも生じていた「天安艦沈没事件」*32や「延坪島砲擊事件」*33などを用いた「安保論理」で、国民の批判と不満を逸らそうとした。

このような状況は次の朴槿恵政権でも続いた。2012年12月19日、当時の韓国は、リーマンショック以後の低成長、高失業率とそれに起因する格差社会が深刻化したが、相対的に多くの国民は当面のかかる状況を打開しうる人物として、公約に保守政党の綱領(市場経済重視)と背馳する「経済民主化」と「増税なき福祉」を掲げた朴槿恵を選択した。ところが政権成立半年後の2013年9月に、朴槿恵政権は早くも「経済民主化」公約を廃棄した。また、それにより生じた支持層の離脱に対しては、「北朝鮮、核、脅威」などを強調した「安保論理」を動員しつつ、回復に努めた。その後も朴槿恵政権は「セウォル号事件」*34、「鄭潤會文件流出事件」*35、「MERS事態」*36など、数々の稚拙な言動や対応を繰り返したが、その都度北朝鮮に関わる「安保論理」を動員することで平均40%の支持率を維持した*37

以上のように「分断」とともに出発した韓国民主主義は、民主化以前であれ、民主化以後であれ、その発展が大きく制約されてきた。しかし、「分断」の下でも韓国民主主義は、持続的な発展を遂げてきたが、本書は、その証左として「87年民主化」に注目する。

第三節 韓国政治における「87年民主化」の意義と特徴

植民地解放以後の韓国民主主義は、朝鮮半島の「分断」状況下で危機状況の克服という口実によって歪曲されてきた。しかし、1987年6月29日を画期として、韓国民主主義は「競争」と「参加」という要素*38を伴った選挙制度が確立されることとなり、多様な意見の表出による「分断」の相対化が行われるようになったという意味で、その発展の可能性を切り開いた。このような面で「87年民主化」は、韓国政治の歩みにおける重大な「転換点」である。

「分断」状況下で出発した韓国は、北朝鮮との排他的競争という名分の下で米国の庇護を受け、目覚ましい経済発展を遂げてきたが、その過程で「反共主義=民主主義」という支配勢力の統治理念による「選挙制度の歪曲」*39と「国家の資本独占」も進められた。しかも、1980年以前までの反政府運動も「分断」および「反共主義」の認識枠に嵌められていたため、それらが「分断」に起因しているという問題提起*40すらできなかった。しかし、1980年5月18日~27日の「光州事件」と同時期に進行していた経済発展は、「分断」に対する対抗勢力の問題意識を覚醒させ、従来の「選挙制度の歪曲」と「国家の資本独占」という問題を「分断」の弊害として捉えはじめるようになった*41

その過程で対抗勢力は民主化のための対案*42を提示していったが、それは次の二つにまとめられる。一つは、競争と参加を保障した選挙制度の確立を求める「大統領直接選挙制への改憲」であり、もう一つは、資本主義経済体制の下で抑圧されてきた労働者や貧困層に対する正当な分配および権益向上を求める「社会経済的不平等問題の是正」であった。しかし、後者は、学生や労働者などから主張されたもので、支配勢力に「学生・労働者」と「北朝鮮の社会主義」とを関連付けて民主化運動を抑圧する口実として用いられた。結局、対抗勢力は「分断」状況の下での後者の対案は非現実的であると認め、「大統領直接選挙制への改憲」という対案のみを選ぶ方向へと進行した*43

このように「分断」状況の下で行われた「87年民主化」は、次のように特徴づけられるようになった。第一に「87年民主化」は、「全階層的参加による民主化でありながら、事実上の改憲論議が一部の政治勢力によって行われたもの」であった。そもそも「87年民主化」は、1980年5月18日の「光州事件」以後、支配勢力の「安保論理」の土台であった「分断」に対する学生勢力の問題提起を嚆矢とし、そこに労働者や在野勢力などの対抗勢力が呼応して、やがては都市の中小商人やサラリーマンなどの中産階層も合流することで成し遂げられた*44。ただし、対抗勢力陣営と大多数の一般国民にとって利益となる「社会経済的不平等問題の是正」という対案は、再び支配勢力が対抗勢力と北朝鮮の社会主義とを関連付けつつ、民主化の遅延を正当化する恐れがあったため、日の目を見ることなく取り下げられた*45。民主化直後の改憲論議でも与・野党の利益のみを満たした「大統領直接選挙制への改憲」に終始してしまったのはこのためであった。

第二に「87年民主化」は、「保守独占的政党体制」を定着させた。1987年「6月抗争」を通して、従来の大統領間接選挙制は「競争」と「参加」という要件を満たした大統領直接選挙制へと変わった。しかし、有権者の選択肢を規定する政党体制は、「分断」によって枠づけられた従来の「保守独占的政党体制」のままであった。図-2をみると、「87年民主化」直後の韓国政党は類似したイデオロギーを有しつつ、地域を基盤とした四党体制で出発した。このような政党体制では、政党の表現的機能*46が損なわれやすく、当然のこととして、民主化以前から労働者や基層民衆などによって求められてきた「社会経済的不平等問題の是正」を政策に反映することも不可能であった*47

以上のように、韓国政治における「87年民主化」は、「分断」に対する対抗勢力の認識変化から始まり、ついに「競争」と「参加」を保障した選挙制度を確立した事件といえる。しかし、「分断」状況の持続は民主化運動の過程で提案された進歩的な対案を許容せず、「分断」によって枠づけられた「保守独占的政党体制」を温存したままで民主主義のルールを設定してしまった。そのため、民主化以降にも民主主義の実践的部分が発展するのに相応の時間を要することになった*48

第四節 「87年民主化」以後の韓国民主主義

S・ハンチントンは、「移行期の最初の選挙で政権に就いた政党ないし集団が、次の選挙で敗北し、政権を選挙の勝利者に譲るなら、そして、もし、この勝利者が平和裏に、次の選挙の勝利者に政権を渡すなら、民主主義は定着したと見なされる」と主張する*49。つまり、民主主義の定着基準を二度の政権交代(two-turnover)に見出している*50。彼にとって、二度の政権交代は、第一に二つの主要な政治指導者集団がともに選挙結果を受け入れて民主的な政権移譲を行ったことが確認できるという点、第二にエリートと大衆の双方が民主主義システムの下で行動したことが確認できるという点で重要な意味を持つと考えているのである*51

「87年民主化」以後から文在寅政権の成立までをみると、韓国においては7回の大統領選挙が行われ、その中でいわゆる保革の政権交代を三度経験した。民主主義に関するS・ハンチントンの洞察を踏まえれば、民主化以後の韓国民主主義は、手続的部分において一定程度の水準まで発展したと言えよう。しかし、民主主義の定着基準を機械的に競争勢力間の政権交代の度合いに換算して一般化すると、研究対象の国がはらんでいた構造的条件によって民主主義そのものが歪曲される現実を看過しうる。

そこで本書は、常に少数者の利益を阻害しうる構造的条件の下で行われる選挙であるなら、それは既得権層の統治を正当化するために民主主義の名を借りる制度にもなりうるとの観点を据える。もちろん、「自由で公正な選挙」、「競争勢力間の政権交代」、そして「勝者を認めて次回の選挙を準備すること」という項目が民主主義の前提条件であることに、異論の余地はない。しかし、定期的に選挙が行われるとしても、どれほどの自由と公正さが国民に適用されるか、また国民の意思が政策決定過程にどれほど反映されるかという項目を考慮しない限り、問題の本質は歪曲するばかりであると考える*52)。

そもそも民主主義とは、第一に、代表性(representativeness)と応答性(responsibility)との円滑な循環が行われていること。第二に、社会内に存在する葛藤を抑圧する代わりに、敵対的かつ競争的利益を公式的な法的体系内で統合し、それを制度的に管理し、参加と平等を制度化していることである*53。ところが「87年民主化」当時の韓国は、選挙制度のみを改正し、労働者階級に対しては抑圧的な法的要素*54を温存したままであった。つまり、韓国は「87年民主化」の段階で経済的不平等の増加をもたらしうる懸案を根本的に解決しないまま、民主主義のルールを設定してしまったため、いかなる制度的保護装置も与えられなかった労働者階級は、民主化以後にも更なる不利益に追い込まれていった。

もちろん、経済的不平等や貧困問題は、他の先進諸国でも見られる普遍的な現象として、今日の民主主義研究でも検討されている*55。しかし、韓国では1980年代に「社会経済的不平等問題の是正」という対案によって「反独裁」という従来の民主化運動の争点を広げて、民主化運動の闘争性を引き上げたが、実際には、民主化に向けての対案形成過程でそれは取り下げられ*56、民主化直後の改憲作業でも「大統領直接選挙制への改憲」のみに焦点が当てられた。これは、韓国政治が民主化以後の市場資本主義によって大量に生み出された「社会経済的不平等問題」を是正しうる機会を自ら閉ざしてしまうことでもあった。

その結果、 長期間の軍部権威主義体制の下で、国家経済の発展や生産商品の国際競争力の強化を名目で一方的に「低賃金・劣悪な労働環境」を強いられてきた労働者などの基層民衆の利益を保護する道も塞がれたのである。さらにこの状況に加えて、1997年の通貨危機と2008年のリーマンショックは、韓国政府に新自由主義の潮流下で国内企業の世界競争力の増強という目標設定を促し、なおかつ企業フレンドリー政策へ前進させることに帰結した。それだけではなく、企業に対する規制緩和のゆえに発生した税収不足を一般国民に負担させることで、一層「社会経済的不平等問題」を増大させるに至ったのである*57

以上のような議論に基づくならば、民主主義が円滑に機能しているか否かを評価するためには、選挙で選ばれた代表者が自らの政策を形成する際に、いかに国民の参加および機会の平等化を図っているかという部分まで考慮すべきである。これは、民主化以後の韓国民主主義が「87年民主化」から30年以上も経った現時点においても積み残した課題であると言える。

第五節 「87年民主化」の理論的な捉え方

(一) 「87年民主化」に対する本書の立場

「87年民主化」に関する既存研究をみると、大きく「構造を重視するもの」と「アクターの選択を重視するもの」がある*58。前者の場合は、経済発展と民主主義との相関関係を重視する。これは、政治を経済の従属変数として取り扱い、経済発展が諸アクターの意識水準の質を高めることによって、民主主義体制への転換に強い動機を持つようになるという論理である。後者の場合は、民主化を説明する際に、経済発展よりも移行期に行われたアクターの選択に重点を置く。これは、同じ経済発展の下でも各々のアクターが異なる選択をした場合、移行の結果も異なるという論理である。

韓国の民主化過程を長期的視角から捉えるならば、経済発展と民主主義との因果関係は十分に証明されていると言える。それは、「分断」下において反共主義に縛られてきた人々の認識が、経済発展による質の高い教育が施される過程で、段々覚醒されるようになったからである*59。しかし、「構造を重視する研究」では、なぜ韓国の民主化が1970年代ではなく、1980年代の後半に可能であったか、つまりどのレベルまでの経済発展であれば、人々は民主主義への転換に強い動機を持つようになるのかという問いに対して、十分な回答を提示することができない。

他方、「アクターの選択を重視する研究」の場合、前者の研究が見逃してきたミクロな部分を分析することが可能であり、よりダイナミックに「87年民主化」を描き出していると言える。しかし、1987年当時、支配勢力には軍の動員という既得権を守るための確実な選択肢があったにもかかわらず、選挙敗北によって自らの既得権を不安にさせうる「大統領直接選挙制への改憲」をなぜ選んだかに対する理由を明確にしていない。これは、アクターの選好が形成かつ変化していくダイナミックな過程を説明せず、選好そのものを所与としたため、移行を決定した部分に対しては、すでに決められていた選択肢の中から「対抗勢力がAを選んだから、支配勢力がBを選択した」という結果論的分析に止まらせたのである。

本書では、こうした研究状況に鑑み、「87年民主化」を説明するに際して、「分断」状況下における安保問題と経済問題を構造と見なす。その理由は、第二節にも述べたように「分断」は1945年以後より韓国政治を規定し、「分断」そのものが長期間にわたって軍部独裁政権を正当化してくれたからである。これは「分断」と韓国の民主化過程が密接に関わっていることでもある。しかし、それだけでは説明にならない。その理由は「分断」状況の中でも「87年民主化」が成し遂げられたからである。韓国において、軍部独裁政権が長期間続いた原因と「87年民主化」が可能であった原因を明らかにするためには、「分断」と「軍部独裁政権の正当化」との間に媒介項を加えて、支配勢力が「分断」を言論などの操作を通して、いかに人々の反共意識を促していったか、また対抗勢力の認識はどのように変わったかに着目する必要があると考える。これは、韓国の民主化が「分断」状況の変化(構造の変化)によってもたらされたのではなく、「分断」状況に対する対抗勢力の認識変化から生じたからである。従って本書では、韓国の政治発展過程において、支配勢力と対抗勢力との間の認識変化が民主化といかなる関係にあるのかを論証するために、民主化当時の主要アクターの言説に注目する。

(二) 「言説分析」の意義と可能性

「言説」は、合理的選択制度論、歴史的制度論、および社会学的制度論という従来の三制度論が「政治的変化」を説明する際に、既存の制度を前提とした静態的分析に陥っていたことへの対案として、アイディアとともに注目される概念である。アイディアの場合は、従来の三制度論がアクターの意図的な行為によって、利益、歴史的経路、規範がそれぞれ変化することを説明できない点に注目しつつ、アイディアを独立変数として取り扱う*60。具体的にアイディアとは、コンテンツ、つまりイメージやメッセージなどの内容を指すものであり、それらはアクターにとって何をすべきかのガイドとなり、アクターが行うことに関する正当化および正統化の源泉として役立つ。しかし、アイディア分析は、アイディアの送り手が受け手に影響を与える過程を重視するという点で、一方向的分析に止まる。これに比べて「言説」は、アイディアを含みつつそれらがどのように伝達され、相手の選好(意見・立場)をどのように変化させ、どのように相手から協調的あるいは敵対的な反応を引き出すのか、そして相手の対応にしたがって自らはどのような変容を図るのかなどの諸側面に注目するという意味で、双方向的分析を前提とした「コミュニケーション的相互行為」そのものを含む。すなわち、アイディアよりも多目的的かつ包括的な概念としての「言説」は、アイディアが伝達され、その反応が返ってくるという相互作用プロセスを含むものなのである。したがって、「公共圏」における政策形成や政治的コミュニケーションのプロセスにおいて、アクターが誰に対して発言し、そこからどのような反応を引き出そうとするか、という意味での「双方向性」を重視する際に、「言説」はアイディアよりも動態的な分析を可能にする。

このような意味で、「87年民主化」を「言説」に基づいて分析することには、大きく二つの有用性がある。第一に、民主化に関する既存理論への補完という点での有用性である。特に民主化に関する既存理論の中で、アクター中心理論の場合、アクターの選好を所与としつつ、既定の選択肢をめぐるアクター間の相互作用を決定論的に捉えていた。それに対して、各アクターの言説分析では、アクターの選好がいかに形成かつ変化するのかについて根拠を提示できることから、1987年当時に支配勢力が「軍の動員」のように自らの既得権を確実に守れる選択肢を有していたにもかかわらず、選挙の敗北によって既得権喪失も予想される「大統領直接選挙制への改憲」を選択した理由が明らかにできる。

第二に、「言説」は、従来の「87年民主化」の研究において経済発展や経済構造、組織およびアクターの選択という要素に比べて、相対的に軽視されがちであった「分断」下での各アクターの認識変化と、それがいかなる政治的結果をもたらすかという点を主体的に取り扱うことができる。韓国の政治史における「分断」の影響は大きく、「分断」状況の下でも「87年民主化」を成し遂げたため、既存の民主化研究では、それを独立変数あるいは分析枠組として取り扱うには有効でなかった面もある。もちろん本書も「分断」そのものを中心に分析するよりも、民主化運動の過程に現出したアクターの選好の形成・変化を説明する際の根拠もしくは契機として取り扱うつもりである。

第六節 本書の構成

本書はなぜ韓国の民主化は1980年代に可能であり、民主化運動の争点が「大統領直接選挙制への改憲」に限定されたのかという疑問を明らかにするために、次のように各章を構成する。第一章と第二章で、「87年民主化」に関する理論的考察を行う。第一章では、「87年民主化」に関する既存の研究動向を整理することとし、主に近代化理論、アクター中心理論、歴史的制度論というオーソドックスな民主化の一般理論と、既存の「87年民主化」研究がいかなる関係にあり、そうした方法論に基づいて何を明確にしてきたのかを明らかにする。こうした研究動向の整理により、「87年民主化」研究の到達点を示すとともに、従来明らかにされてこなかった課題を明確にして、その上で本書の分析枠組の必要性を提示する。

第二章では、本書の全体を貫く分析枠組を詳述する。その分析枠組は二段階に分けられている。第一段階の分析枠組(「体制変動の三層領域」)では構造が直接的に各アクターの選択を規定するものとしてではなく、アクターの認識変化の根拠になるものとして重視されることが主眼に置かれる。そして第二段階の分析枠組(「社会的合意の形成・変化過程」*61)では、第一段階の分析枠組にある「認識領域」になおさら焦点を当てて、その中での変化が「アクターの選択領域」をどのように規定するかを取り扱うものとして述べられる。

第三章は、「87年民主化」を分析するための導入部として、第二章の「体制変動の三層領域」に基づいて、1961年の「5・16軍事クーデター」以後から1987年の「6・29宣言」までを、軍部権威主義体制の成立・安定期、動揺期、および崩壊期に分けて分析する。それを通して、韓国の民主化が1980年代に至って可能であったことを析出する。

第四章から第七章までは、第二章の「社会的合意の形成・変化過程」を描き出すために、1979年の「朴正煕大統領暗殺事件」から1987年の「6・29宣言」までの各アクターの言説に基づいて、支配勢力と対抗勢力との認識変化過程を分析する。

まず第四章では、社会的合意の形成・変化過程の「第一段階~第四段階」に当てはまる1979年10月26日の「朴正煕大統領暗殺事件」から1980年5月18日の「光州事件」までを対象に論じる。特にこの章では、1979年10月26日、朴正煕大統領の暗殺以後、分裂のみを繰り返してきた対抗勢力に比べて、支配勢力が言論を掌握し、「先安保・後政治発展」という「安保論理」を掲げて軍部政権の再樹立に成功した過程を分析する。

第五章では、社会的合意の形成・変化過程の「第五段階」である1982年3月18日「釜山米文化院放火事件」から1985年2月12日「2・12総選挙」までの過程を検討する。そこでは「安保論理」の土台であった「分断」に対する対抗勢力からの問題提起を取り扱うが、対抗勢力からの問題提起以後、支配勢力の安定的政局運営に亀裂が生じ、それを防ぐために「安保論理」を修正していく過程と、対抗勢力が本格的な民主化闘争のために活発な組織化に取り組んでいく過程を描き出す。

第六章では、社会的合意の形成・変化過程の「第六段階」である1985年2月12日「2・12総選挙」以後から1986年10月28日「10・28建国大学事件」までの過程を検討する。そこでは対抗勢力による「分断」および「反共主義」の認識枠を克服した問題提起以後、支配勢力が頻繁に「安保論理」を修正していく過程を取り扱う。そして対抗勢力では「どのような民主化にするか」をめぐる対案形成過程を描き出す。

第七章では、社会的合意の形成・変化過程の「第七段階」である1987年4月13日「4・13護憲措置」から6月29日「6・29宣言」までの時期を取り扱う。そこでは「4・13護憲措置」を契機にして、いかに「大統領直接選挙制への改憲」という対案が新しい社会的合意へ変わっていったか、そして支配勢力は、なぜ自分の既得権を不安にさせうる「大統領直接選挙制への改憲」を受容せざるを得なかったかを分析する

最後に結章では、第一章から第七章までの議論を振り返り、それぞれで明らかになった知見をまとめ、それが「87年民主化」に関する既存研究にいかなる学術的貢献をなし、どのような独創性と学問的意義を有しているのかを明らかにする。

〈注〉

*1: 白樂晴は、「分断体制」という用語を使いつつ、この概念こそが朝鮮半島の現実を効果的に説明できるという。ここで彼は、「分断体制」を冷戦体制の下位単位として見なすことと、それが南北現実の否定的側面だけを表す用語であることを否定する。なお韓国における「分断体制」は、権威主義体制内勢力が「安保」と関わるプロパガンダの動員を容易にしたが、それが階級的ヘゲモニーとして定着することはなかったという。たとえば、 白樂晴は民主化運動のために統一問題を掲げる人々がいる一方、権威主義体制の維持のために統一問題を活用する人々がいる体制が「分断体制」であるという。そこで白樂晴は「分断体制」の克服は人々の認識によって左右されるという。 白樂晴『분단체제 변혁의 공부길(分断体制変革の勉強の道)』創作と批評社、1994年。

*2: 既存の民主主義研究では、民主主義の水準を評価する尺度を、手続的部分と実践的部分に分けている。前者の場合、「選挙」という制度を通して民主主義がどれほど実現されているのかを評価する観点から、主に「国民が選挙を通して自らの指導者を選び、次の選挙でその指導者の責任を問い詰めて退かせることが可能か」、「公正で定期的に選挙が行われているか」、「合法的かつ平和的な政権交代が行われているか」などの項目に注目して、民主主義のレベルを評価する。また後者の場合、民主主義の制度が「国民の意思を尊重しつつ、運営されているか」、「国民の表現の自由が保障されているか」、「多様な利益集団が存在し、どれほど彼らが政策過程に影響力を及ぼしているか」、「多数の意思はもちろん、少数の意思も尊重されているか」などの項目を挙げる。つまり、制度としての選挙が一般国民の意思をどこまで反映しているかを評価するなど、民主主義の本質的価値をより重視していると言えよう。現代の民主主義に関して、制度的および実践的部分を踏まえた評価尺度を提示する研究書としては、サルトーリとダールを取り上げることができる。しかし両者は,民主主義の実践的部分への提案において、若干異なる立場を有している。まずダールの場合は、実践的部分を充実にするためには、市民たちの能力が独立変数であるとし、公共教育機関を通した教育を主張する。それに比べてサルトーリは、代議制民主主義(制度的部分)が成立したから、民主主義が維持されるのではなく、闘争によって充実していくという。前者は、制度に期待する消極的立場であり、後者は、制度への主体的な介入を主張する積極的立場であるといえる。Giovanni Sartori, The theory of democracy revisited, Chatham Hause Publishers, 1987.; Robert A.Dahl, On Democracy, Yale University Press, 2000.

*3: 「87年民主化」以後、大統領直接選挙制への改憲を通して、事実上の軍部権威主義体制は終焉したが、改憲直後の大統領選挙で軍部政権の第二の実力者であった盧泰愚が当選した。つまり、盧泰愚政権は民主的選挙を通して、全斗煥政権の権力基盤を受け継いだのである。さらにその権力基盤(民主正義党)は、1990年1月22日統一民主党(金泳三)と新民主共和党(金鍾泌)との三党合党を通して、議会内3分の2の議席を確保することで、今日の保守政党の本流となった。金容撤、池チュンナム、柳ギョンハ『현대 한국정치의 이해(現代韓国政治の理解)』マインドテップ、2018年、269頁。;鄭テファン「김영삼 정권의 등장배경과 주요 정치 세력의 역학(金泳三政権の登場背景と主要政治勢力の力学)」『韓国学研究』第22集、2005年、238頁。

*4: 本書で使用する「対抗勢力」とは、主に野党、在野、学生、労働者などを指し、支配勢力の政治権力や政局運営に対して問題意識を持ち、積極的に反政府運動を主導するすべての団体を総括するものである。したがって、その都度構成は異なってくる。

*5: 1980年5月18日~27日、全斗煥と新軍部は全羅南道光州市での民主化要求を9日間にわたって武力鎮圧を行った。その結果、死亡者155人、行方不明者84人、負傷後死亡者114人、負傷3,721人、拘束者1,689人など、合計5,763人に至る莫大な人命被害を生んだ。その後も拘束者に対する残虐な拷問が続けられ、未だにその被害者たちはトラウマを患っている。5・18記念財団「광주 민주화운동 관련자 보상현황 (光州民主化運動関連者に対する補償現況)」(2018年12月) http://www.518.org/sub.php?PID=010104; 崔ジョンギ「과거청산에서의 기억 전쟁과 이행기 정의의 난점들: 광주 민주화운동 관련 보상과 피해자의 트라우마를 중심으로(過去清算での記憶戦争と移行期の正義の諸難点: 光州民主化運動の関連補償と被害者のトラウマを中心に)」『地域社会研究』第14集2号、2006年。;安眞「5.18 광주항쟁에서의 여성의 피해, 그리고 생존(5・18光州抗争での女性の被害、そして生存)」『女性と平和』第4集、2005年。

*6: 本書で使用する「支配勢力」とは、軍部、政府、与党、財閥など、1948年の政府樹立から政治権力のイニシアティブを有した団体、もしくは政治権力に連なることで既得権を享受した団体を総括する。従って実質的な支配勢力とは、「軍部および政府」であり、場合によっては朴正熙政権および全斗煥政権とも呼ぶ。

*7: 以下は、1987年6月29日、当時の政府与党である民正党の盧泰愚大統領候補が朗読した「6・29宣言」の内容である。(前略) 第一に、与野合意の下で、速やかに大統領直接選挙制への改憲に臨み、新しい憲法による大統領選挙を通じ、1988年2月の平和的政府移譲を実現しようとします。今日、この時点で私は、社会的混乱を克服し、国民的和解を成り立たせるためには、大統領直接選挙制を選択せざるを得ない結論を下すようになりました。国民は、国家の主人であり、国民の意思は、すべてにまさるものです。第二に、大統領直接選挙制への改憲という制度の変更のみならず、これの民主的実践のために、自由な出馬と公正な競争が保障され、国民の正しい判断を導き出しうる内容で、大統領の選挙法を改正しなければならないと思います。また、新しい法に従って、選挙運動や投開票過程などにおいて、最大限の公正な選挙管理が行われなければならないと思います。第三に、現在の政治領域は言うまでもなく、あらゆる分野においての反目と対決を果敢に取り除き、国民的和解と大団結を図るべきであります。そういう意味で、私は、その過去がいかなるものであれ、金大中さんも赦免復権されなければならないと思います。そして、我々と我々の子孫の存立基盤である自由民主主義の基本秩序を否認した反国家事犯や殺傷、放火、および破壊などで、国家基盤を揺るがした極少数の人を除き、すべての時局関連事犯は、釈放させなければなりません。(中略)第四に、人間の尊厳性はより尊重すべきであり、国民の基本的な人権は、最大限に伸張させなければなりません。(中略)第五に、言論の自由のために、関連制度と慣行を画期的に改善しなければなりません。いくらその意図が良くても、大部分の言論人の批判の的になってきた言論基本法は、至急、改正かつ廃止されなければなりません。(中略)政府は、言論を掌握することも、それをしようと試みることもしてはいけません。国家安全保障を阻害しない限り、言論は制約を受けてはなりません。言論を裁くことのできるのは、独立した司法府と個々人の国民であることを再び想起しましょう。第六に、社会の各部分の自治と自律は、最大限に保障されなければなりません。各部門の自治と自律の拡大は多様かつ均衡のある社会発展を成し遂げ、それが国家発展の原動力になると信じます。改憲手続きにもかかわらず、地方議会の構成は、予定どおりに進めなければならないし、市・都単位の地方議会の構成も引き続いて、具体的に検討かつ推進されなければならないと思います。学問の殿堂である大学の自立化と教育自治も速やかに実現されなければなりません。このために大学の人事、予算、および行政に対する自律性を保障し、入試や卒業制度もそのような方向へ改善していかなければなりません。(中略)第七に、政党の健全な活動が保障される中で、速やかに対話と妥協の政治風土を備えなければならなりません。政党は国民の利益のために、責任のある主張や政策を進めることで、国民の政治的意思を形成かつ結集する民主的組織体です。このような政党の目的に反しない限り、国家は政党を保護かつ育成することに全力を尽くします。第八に、明るくて透明な社会建設のために、果敢な社会浄化措置を攻究しなければなりません。このために、すべての市民が安心でき、幸せな生活を営めるように暴力団を掃討し、強盗、窃盗事犯を徹底に取り締まるなど、国民生活の侵害事犯をえぐりだし、社会に残存する矛盾を果敢に直していかなければなりません。また、流言飛語を追放し、「地域感情」や「黒白論理」のような単語が永遠に消え去り、互いに信頼し、愛し合う共同体を造成しなければなりません。(中略)以上の八項目である。東亜日報社編『宣言으로 본 80년대 民族・民主운동(宣言からみた80年代の民族・民主運動)』東亜日報社、1990年、289-291頁。

*8: 韓国民主主義の起源については、歴史学者と政治学者との間の見解が分かれている。特に金正仁と崔ヒョンイクの場合、朝鮮末期の「独立協会および万民共同会」などを例としつつ、植民地解放以後の韓国民主主義の移植説を没歴史的と批判する。しかし、それは歴史的発展過程の中で、次第に蓄積されてきた民主主義的文化の片鱗であって、民主主義そのものが政治体制と体現されたのは1948年以後のことである。崔ヒョンイク「한국에서 근대 민주주의의 기원: 구한말 독립신문, 독립협회, 만민공동회 활동(韓国における近代民主主義の起源: 旧韓末の独立新聞、独立協会、万民共同会の活動)」『精神文化研究』第27巻3号、2004年。;金正仁「초기 독립운동과 민주공화주의의 태동(初期独立運動と民主共和主義の胎動)」『人文科学研究』第24集、2017年。;金正仁「근대 한국 민주주의 문화의 전통 수립과 특질(近代韓国民主主義文化の伝統樹立と特質)」『歴史と現実』第87集、2013年。;李正吉「朝鮮末期の民主主義の始動に関する諸考察: 民主主義の土壌づくり過程の理論化に向けて」『北東アジア研究』別冊第5号、2019年。

*9: 朴チャンピョは、植民地解放の以後、3年間の米軍政期に枠づけられた韓国の政治体制を「48年体制」という。彼は、その時期において、韓国内の強固な社会的・理念的基盤を構築してきた冷戦反共体制が今日の韓国民主主義の発展を塞いでいると見なす。その上、韓国民主主義が冷戦反共体制によって枠づけられた保守性と冷戦自由主義の限界を克服する際に、韓国社会の理念的地平の拡大とともに、社会・経済的領域に民主主義を拡大することができるという。朴チャンピョ『한국의 국가 형성과 민주주의: 냉전 자유주의와 보수적 민주주의의 기원(韓国の国家形成と民主主義: 冷戦自由主義と保守的民主主義の起源)』フマニタス、2007年。;朴チャンピョ『한국의 48년체제: 정치적 대안이 봉쇄된 보수적 패권 체제의 기원과 구조(韓国の48年体制: 政治的対案が封鎖された保守的覇権体制の起源と構造)』フマニタス、2015年。

*10: 日本にとって「安保」とは、しばしば日米「安保」を想起する。これに対して、韓国の「安保」とは、もっぱら北朝鮮による戦争脅威から国家の主権と国民の安全を守る意味となる。本書における「安保」は、後者の「安全保障」の意として用いる。

*11: この点に注目して、柳時敏は「後払い制民主主義」という用語を使う。彼は、韓国憲法第一条の「大韓民国は、民主共和国である。大韓民国の主権は、国民にあり、すべての権力は国民から出る」という内容が1948年7月17日の制憲国会によって公布されたとしても、まともに民主主義的価値を国民が享受するためには、後で費用を払わなければならなかったと述べる。柳時敏『후불제 민주주의(後払い制民主主義)』ドルベゲ、2009年、21頁、39頁。

*12: 図-1にある「〇」は政府与党であり、「●」は野党を指している。

*13: これは民主化以前のみに限らない。民主化以後にも盧泰愚政権、金泳三政権は言うまでもなく、民主化してから20年後に成立した李明博政権、朴槿恵政権にも自らの支持率を維持するために、北朝鮮および脅威などの「言説」を適宜動員してきた。

*14: これは民主化以前のみに限らない。2013年11月5日、朴槿恵政権は統合進歩党を国家転覆勢力(従北左派勢力)がいるという理由で、憲法裁判所に政党解散審判を請求し、12月19日に解散させた。当時、統合進歩党所属の国会議員5名も議員職を喪失した。これは1958年進歩党事件のように身体的弾圧を加えはしなかったが、民主的選挙を通して成立した政党と国会議員を政権との政治的立場が異なる理由で解散させることが妥当であるかは、いまだに意見が分かれている。

*15: 憲政中断(interruption of constitutional regime)とは、憲法に基づいた国家運営が中断されたことを意味する。具体的に韓国は、1948年の憲法制定とともに立法、司法、行政という三権分立の原則で、国家を運営してきたが、軍部の政治介入や政治的危機の度に、立法、司法、行政という三権が否定され、最高意思決定者の一方的な意志だけが貫くようになったことを憲政中断という。

*16: この革命の引き金は、1960年3月15日、第4代正・副大統領の不正選挙であった。この選挙では、野党側の大統領候補(趙炳玉)が選挙キャンペーン中に急死したこともあり、李承晩の年齢も80歳を超えていたため、自由党政権はすべての公権力を動員して副大統領候補の李起鵬を当選させた。不正選挙に対するデモは、初めは学生を中心に馬山、大丘、釜山、およびソウルなどで行われたが、4月11日、馬山沖で金朱烈君の遺体が発見されてから、大勢の一般国民も合流した。そして4月19日、警察は大統領官邸の前に押し寄せてくるデモ隊に向けて発砲した。この事態は186人の死者と6,026人の負傷者をもたらしたあげく、4月26日に李承晩の12年間の独裁政権の終焉を導き出した。

*17: 本書で使用する「安保論理」とは、「分断」を根拠にした北朝鮮、危機、戦争、および挑発と、景気後退や騒擾事態などの国内の不安要素を繋げて、権威主義体制および民主主義的正統性の欠陥を正当化するだけではなく、反政府運動および対抗勢力から政府批判を無力化するための支配勢力のアイディアである。これは「分断」状況の変化や対抗勢力の認識変化によって、内容そのものが変わることもある。たとえば、朴正熙政権の際には「反共主義国家の確立・祖国近代化」や「安保総力体制の構築」などであった。全斗煥政権の際には「先安保・後政治発展」、「国民団結および国民和合」、「オリンピックの成功と現行憲法維持」、および「議院内閣制への改憲」などの諸形態で「安保論理」の内容が変わっていく。「安保論理」の内容修正が頻繁であるということは、その内容が「分断」によって根拠づけられないか、もしくは「分断」に対する対抗勢力の認識変化が行われ、それに合わせたアイディアの修正が不可避であるほど、支配勢力にとって不安定な時期として見なすことができる。さらに「安保論理」は、民主化以後の保守政権によって使われた。軍部政権の遺産ともいえる民主化以後の保守政権は、「分断」と国内の不安要素とを繋ぎ合わせて作り出した外部の敵および危機状況を提示して、自分に向けられていた国民の批判を外部へ喚起するために、「安保論理」を用い続けたのである。

*18: 1971年12月6日、朴正熙は突発的に非常措置を宣布し、後に維新憲法を発表した。維新憲法の主な内容をみると、まず大統領選挙を直接選挙制から統一主体国民会議代議員たちに選ばれる間接選挙制へと変えること。そして国会議員も大統領が3分の1の議員を指名し、3分の2の議員は選挙で選ぶことである。張乙柄「유신체제 등장(維新体制の登場)」『현대한국을 뒤흔든 60대사건: 해방에서 제5공화국까지(現代韓国を揺るがした60大事件: 解放から第5共和国まで)』東亜日報社、1988年、204-208頁。

*19: 1979年10月26日夜、ソウル特別市鍾路区宮井洞にある中央情報部所有の秘密宴会場で、朴正煕、車智澈(大統領府警護室長)、金桂元(大統領府秘書室長)、金載圭(中央情報部長)、沈守峰(有名歌手)、申才順(女子大生)、以上6名が晩餐会を設けていた。その際に朴正煕は、金載圭に「釜馬民主抗争」についての責任を追及すると、車智澈も追従して中央情報部の無能振りを叱責した。「維新体制」に対する国民の抵抗が高潮していた中で、金載圭に朴正煕の叱責、車智澈の越権行為および強硬発言、車智澈に対する朴正煕の同調、および金載圭に対する車智澈の屈辱的待遇などが絡み合って、金載圭が朴正煕と車智澈を射殺した事件である。「10・26事件」ともいうこの事件は、長期間の独裁政権を終息させた点で、民主化過程での重要な意味を有する。鄭ジュシン「10.26 사건의 배경 분석(10・26事件の背景分析)」『社会科学研究』第18巻、((2007))、113頁。

*20: 新軍部とは、「一心会(ハナフェ)」と名乗る軍内部の親睦会として、全斗煥・盧泰愚を中心とする陸軍士官学校11期のメンバーが主流を成すもので、朴正煕政権下の保護を受けながら政治的感覚を養ってきた軍内部の組織を指す。金浩鎮『韓国政治の研究』三一書房、1993年、232-233頁。

*21: 1980年5月27日、政府は国務会議で国家保衛非常対策委員会設置令を発し、5月31日に大統領の諮問補佐機関として行政・司法業務を調整かつ統制する機能を有する国家保衛非常対策委員会を設置した。また10月27日には国会を解散する代わりに、国家保衛立法会議も設け、事実上、国家保衛非常対策委員会は行政、立法、司法を総括することになった。さらに国家保衛非常対策委員会に委任されるすべての議題を審議する常任委員会を設置したが、その委員長を全斗煥にし、各委員を新軍部のメンバーたちから任命した。国家保衛非常対策委員会の主要目的は「国家安保態勢強化、社会安定確保(学生デモや労働争議の防止)、不正腐敗一掃」であった。編集部「5공화국 독재체제와 국보위・입법회의(第5共和国の独裁体制と国保委・立法会議)」『月刊 ことば』、1987年、28-30頁。

*22: 図-2にある「〇」は政府与党であり、「●」は野党を指している。

*23: 崔章集『민주화 이후의 민주주의(民主化以後の民主主義)』フマニタス図書出版、2004年、59頁。

*24: 宋ビョンフォン・李ナミ・金ミョンフェ『한국자유민주주의의 전개와 성격(韓国自由民主主義の展開と性格)』民主化運動記念事業会、2004年、171頁。

*25: 本書と異なる立場として、若畑省二の研究を取り上げることができる。彼は、韓国の「地域主義」という政治的亀裂がどのような要因によって形成されたか、そして選挙制度が「地域主義」に対していかなる影響を与えたかを考察した。彼は、既存の変則的な小選挙区比例代表並立制(一人一票制)の下で、政党に対する投票が行われていないということが韓国の「地域主義」を深化させていく主要因であると分析した。このことから、彼は、2004年から政党への投票が可能(一人二票制)になったことが「地域主義」の終焉につながるのではないか、という仮説を提示している。この分析は、現在の韓国状況を鑑みると、ある程度の妥当性を有しているといえよう。また、実際に2004年の国会議員総選挙において一人二票制が採択され始め、地域基盤のなかった当時の民主労働党が10席という議席獲得に成功したことから、以前までの選挙とはやや異なる様相がみられていた。このような韓国の「地域主義」に関する若畑の意見は、それなりの説得力を有していると考える。若畑省二「韓国国会選挙の巨視的分析: 地域主義をどうみるか」『信州大学法学論集』第3号、2003年。

*26: 盧泰愚、金泳三、李明博、そして朴槿恵政権を指している。

*27: Baker, William D and John R, Oneal, “Patriotism or Opinion Leadership? The Nature and Origins of the Rally Round the Flag Effect", Journal of Conflict Resolution 45, No.5, 2001, p.661-685.; Brody, Richard A and Benjamin I, Page, “The Impact of Events on PresidentialPopularity: The Johnson and Nixon Administrations", In Aaron Wildavsky, ed. Perspectives on the Presidency, Boston: Little, Brown,1975, pp.136-147.;Eichenberg, Richard C, Richard J. Stroll, and Matthew Lebo, “The Approval Ratings of George W. Bush", Journal of Conflict Resolution 50, No.6, 2006, p.783-808.; Erikson, Robert S and Kent L, Tedin, American Public Opinion: Its Origin, Content, and Impact. 10th edition, New York: Pearson, 2010.;Hetherington, Marc J and Michael Nelson, “Anatomy of a Rally Effect: George Bush and the War on Terrorism" PS: Political Science and Politics 36, No.1, 2003, p.37-42.; Lee, Jong R, “Rallying Round the Flag: Foreign Policy Events and Presidential Popularity", Presidential Studies Quarterly 7, 1977, p.252-256.; Mueller, Johen E, War, Presidents, and Public Opinion, New York Wiley, 1973.; Norpoth, Helmut, “Economics, Politics, and the Cycle of Presidential Popularity", Political Behavior 6, No.3, 1984, p.253-273.

*28: 「7・4・((7))」政策とは、世界第7位の経済規模、GDP4万ドル、年平均7%の経済成長を目指す構想である。

*29: 韓半島大運河(Grand Korean Waterway)とは京釜運河、京仁運河、湖南運河、金江運河、北韓運河を総称するものである。このプロジェクトの核心は、京仁運河として、仁川から釜山までの内陸運動水路を4年間で建設することであった。しかし、これは環境、施工期間、費用、実効性、および必要性に関する多くの批判に直面した後、白紙化された。

*30: 2008年4月米・韓間の輸入牛肉に関する協商で、当時まで狂牛病発生(2003年12月)をきっかけとして禁止されていた生後30か月以後の牛肉の輸入を再開することを合意した。しかし、その内容は畜産農家の被害、狂牛病の危険性への憂慮とともに、国民からの意見が反映されていないことが指摘されて、各界各層からの反発(蝋燭集会)を呼び起こす。

*31: 李明博大統領の就任直後の支持率が76%であったが、わずか100日で支持率が16.9%まで急落した。(http://www.realmeter.net/취임-첫주-이명박-대통령-국정수행-지지율-76-2/http://www.realmeter.net/mb-지지율-또다시-추락-16-9로-최저치-2/)

*32: 2010年3月26日、北朝鮮に隣接する北西地域の白翎島付近の海上で、1200トン級の海軍哨戒艦艇「天安艦」が原因不明の爆発によって、沈没した。この沈没により乗務員104人のうち40人が死亡し、6人が行方不明になった。当時、民・軍合同調査団を構成した政府は、沈没原因に対して、「北朝鮮による魚雷攻撃」と発表したが、様々な憶測や疑惑が提起された。

*33: 2010年11月23日、北朝鮮が国境付近にある韓国の延坪島に向けて行った砲撃事件として、韓国の海兵隊員2人が死亡、16人が重軽傷を負い、民間人の2人が死亡、そして3人が重軽傷を負うなど、各種施設が破壊された。これは、休戦以後、初めて北朝鮮が韓国領土へ砲撃し、民間人の死亡者を出した事件でもある。

*34: 2014年4月16日、仁川から済州へ向かっていたセウォルフェリー号が珍道付近で沈没した事件である。この事故は304人の死亡者を出したが、大部分の犠牲者が修学旅行中の高校生であった。しかも、全国民がテレビ中継を通して、何の救助活動もしないまま、船が沈没していく現場を目撃した。これは、大多数の国民に若い高校生たちが死んでいても、自分は何もできなかったという無気力感とトラウマを与えるとともに、無能な政府に対する憤怒をもたらした。しかも、事故当日、朴槿恵大統領は7時間も行方不明になり、まともな対策会議や救助指示もしていなかったことが明らかになり、国民的憤怒は増加していき、後程の政権崩壊の端緒を与えた。

*35: 2014年11月28日、朴槿恵政権で鄭潤會(崔順実の夫)が正式の職位を持たず、非公式で国政運営に介入しているという青瓦台発の書類が世界日報を通して報道された。しかし、2015年1月3日、朴槿恵政権は書類作成に関わっている人々を大統領記録物管理に関する法律違反、公務上秘密漏洩、共用書類隠匿、および無告罪で訴えて事件の本質を覆い隠した。結局、鄭潤會の国政運営介入は2016年10月26日の崔順実ゲートの暴露によって、事実であったことが明らかになった。

*36: 2015年5月、韓国で初めてMERS(中東呼吸器症候群)患者が出て、同年11月まで莫大な規模で感染が拡大した事態が発生した。その期間中に、総隔離対象者が16,693人、その中で総感染者186人、死亡者38人を生み出した。その過程の中で朴槿恵政権は、国民の不安を理由にして、MERSの始まった三星病院に対する情報公開をしないことで、より事態を悪化させてしまった。

*37: 李正吉「分断社会における危機克服のための言説のあり方: 韓国の朴槿恵政府の成立から弾劾事態までを事例として」『日本比較政治学会年報第20号: 分断社会の比較政治学』ミネルヴァ書房、2018年。

*38: 民主主義の基本的要素としては、「競争」と「参加」である。「競争」は、自由で公正な選挙、結社の自由、表現の自由、および情報源に対する対案的かつ独立的な接近の可能性を指す。そして「参加」は、選挙権の拡大である。金雄鎭編『비교민주주의: 분석모형과 측정지표(比較民主主義: 分析模型と測定指標)』韓国外国語大学出版部、2005年、109頁。

*39: それまでの韓国では、国家によって選ばれた5,000人の統一主体国民会議代議員が大統領を選出する制度を維持してきた。つまり韓国では、1987年以前にも定期的に実施される選挙制度があったが、それは「競争」と「参加」という民主主義の基本的要素を排除したものとして、選挙はないに等しかった。

*40: 本書で使用する「問題提起」とは、ある特定のアクターが従来の社会的合意の根幹をなしている部分に対して言葉や行為で批判することである。つまり「問題提起」は、大勢の人々に内在している問題意識をある個人と団体が特定の言葉や行動を通してリマインドさせ、彼らの参加を導き出す引き金的な役割をする。

*41: 1980年代に入って、「民主主義=反共主義」および「反米=親北」という国民の認識は、急激に変わっていったが、その主導的役割を果たしたのが学生勢力であった。彼らは、「光州事件」をきっかけとして、既存の体制下で禁じられていた反米、反帝国主義、および祖国統一などのスローガンを掲げていったが、結局1986 年に至って「米国=抑圧者=加害者=軍部政権=反統一」と「韓国=被抑圧者=被害者=民衆=統一」という二項対立的論理が確立し、従来の「社会的合意(先安保・後政治発展)」が支配勢力の既得権維持のための手段であることを多くの国民に認識させた。李ジミョン『넘쳐나는 민족 사라지는 주체: 민족 담론의 공존을 위해(溢れる民族、消えていく主体: 民族言説の共存のために)』チェクセサン、2008年、63-66頁。

*42: 本書では「対案」と「対案形成」という用語を用いている。「対案」とは、対抗勢力が本章注40に言及した「問題提起」を具体化したアイディアである。そして「対案形成」とは、各々の「対案」が一つに結合されて、従来の社会的合意に代替しうる明確な解決策を指す。Adam Przeworski,“Some Problems in the Study of Transition to Democracy" in Guillermo. O'Donnell, Philippe C. Schmitter, and Laurence Whitehead, eds, Transitions from Authoritarian Rule: Comparative Perspectives, Johns Hopkins University Press, 1986, pp.51-52.; Adam Przeworski, Democracy and The Market: Political and Economic Reforms in Eastern Europe and Latin America, Cambridge University Press, 1991, pp.54-55.

*43: この過程については、本書の第四章から第七章にかけて詳細に論ずることにする。

*44: 本書の中間階層に対する立場は、ルーシェマイアーらの見解から影響を受けている。彼らは、中産階層の二重的な態度を指摘する。彼らによると中産階層は、王の専制と貴族の寡頭制から自らの政治参加拡大を求めるが、ある程度の地位が保障されると、それ以上の政治参加拡大(労働者の権利拡大)のためには戦いたがらない。そこで本書は、一貫的に民主化運動を続けてきた対抗勢力に中間階層を含めるより、中間階層の民主化運動への合流が社会的合意の形成という面で象徴的事件として捉えている。Dietrich Rueschemeyer, Evelyne Huber Stephens and John D. Stephens, Capitalist Development and Democracy, Polity Press, 1992, pp.46.

*45: これは、本書の主な分析対象として、第四章から第七章にかけて詳細に論証することにする。

*46: 民主主義国家において媒介者の役割を担う政党は、主に二つの機能がある。一つは政府の役職を獲得することを目指し、国家に対する影響を追求する道具的機能である。もう一つは、社会の複数の利益を集約するためにイデオロギーや綱領を提示する表現的機能である。Seymour Martin, Lipset and Stein, Rokkan(eds.), Party Systems and Voter Alignments: Cross-National Perspectives, The Free Press,1967.; Alan, Ware, Political Parties and Party Systems, Oxford University Press, 1996.

*47: その代表的事例として、1996年12月26日の労働法改正が取り上げられる。1996年2月金泳三政府と新韓国党は、「複数労組禁止条項の廃止、変形勤労制、整理解雇制、派遣勤労制、ストライキ中の無労働・無賃金制、および労組の政治活動禁止など」の内容が盛り込まれた改正案を提示した。当然、労組からは激しく反発し、金泳三政府と新韓国党は「複数労組許容の3年猶予および整理解雇の理由の具体化」に修正した。しかし、これはいつでも企業が労働者を解雇できるようにしたもので、原案よりも後退した内容であった。結局、1996年12月26日に新韓国党の154人の議員たちは、単独で改正案を通過させたが、問題はその後の野党側の対応であった。当時、新政治国民会議、自由民主連合、および統一民主党は、「反独裁闘争共同委員会」を立ち上げて、党首会談の要請と憲法裁判所に労働法改正の無効訴訟を起こした。こうして、1997年1月21日金泳三政府と新韓国党は、金大中、金鍾泌と党首会談を設け、再改正案に合意した。しかし、3月10日に発表された再改正案をみると、「労組の政治活動禁止条項の廃止と複数労組の許容」という点では改善されたものの、「整理解雇施行の2年猶予」に合意することで、大勢の非常勤労働者を生み出し、今日の厳しい労働環境の基盤を作り出した。

*48: この点については様々な異見があろうが、本書は「87年民主化」当時、韓国政治の構造的問題であった「分断」が、民主化運動の争点を「大統領直接選挙制への改憲」のみに限定し、長期間「社会経済的不平等問題の是正」を置き去りにしたと見なす。そして、「分断」によって枠づけられた「保守独占的政党体制」のために、民主化以後にも「社会経済的不平等問題の是正」に対する議論も進められず、1997年の通貨危機と2008年リーマンショックを経て、韓国社会に深刻な格差と不平等問題を蓄積させたと考える。結局、それに対する国民の不満と問題意識は、朴槿恵政権の無能と腐敗が引き金になり、「社会経済的不平等問題の是正」という争点を前面に掲げた「蝋燭革命」を導き出した。この点からみると、「蝋燭革命」は韓国民主主義が「87年民主化」の限界を乗り越えて、「分断」状況下でも「社会経済的不平等問題の是正」を真剣に取り扱うなど、実践的民主主義の発展の可能性を切り開いた第二の転換点として位置付け得る事象であると考える。李正吉「分断社会における危機克服のための言説のあり方: 韓国の朴槿恵政府の成立から弾劾事態までを事例として」『日本比較政治学会年報第20号: 分断社会の比較政治学』ミネルヴァ書房、2018年。

*49: Samuel P. Huntington, The Third Wave: Democratization in The Late Twentieth Century, Oklahoma University Press, 1990, pp.266-267.(坪郷 實・中道寿一・薮野祐三訳『第三の波: 20世紀後半の民主化』山嶺書房、1995年、257頁。)

*50: 金鍾曄は、韓国民主主義の問題を明確に把握するためには、民主主義の定着基準という発想ではなく、民主化そのものが持続する過程もしくは脱民主化(de-democratization)が起こるダイナミックな過程で理解するのが望ましいという。金鍾曄『분단체제와 87년체제(分断体制と87年体制)』創作と批評社、2017年、378頁。

*51: Samuel P. Huntington, The Third Wave: Democratization in The Late Twentieth Century, Oklahoma University Press, 1990, pp.266-267.(坪郷 實・中道寿一・薮野祐三訳『第三の波: 20世紀後半の民主化』山嶺書房、1995年、257頁。)

*52: この点についてはダールの議論が参考となる。彼は、「自由で公正な選挙への包括的な参加」と「公的異議申立ての許容」が高度に発達すれば、その政治体制を最も理想的な「ポリアーキー」であると名づける。彼によれば「ポリアーキー」は、市民の要求を政府が責任をもって、通常的かつ公平的に彼らに応答しなければならない体制のことを指す。その必要条件としては、「要求を形成する機会」、「個人的あるいは集団的行動を通して、同輩市民や政府に対し、その要求を表現する機会」、そして「政府の対応において、これらの要求を平等に取り扱う機会」という三つを挙げる。つまりダールの見解では、民主主義を評価するために自由で公正な選挙という項目を基本前提に置きつつも、選ばれた統治者がどれほど市民の要求を公平に取り扱うのか、また市民はその統治への参加がどれほど可能であるか、という実質的な運営のレベルまでが含まれるのである。 Robert A. Dahl, Polyarchy: Participation and Opposition, Yale University Press, 1971, pp.2-10. (高畠通敏・前田脩 訳『ポリアーキー』三一書房、1981年、6-14頁。

*53: 崔章集『민주주의의 민주화: 한국 민주주의의 변형과 헤게모니(民主主義の民主化: 韓国民主主義の変形とヘゲモニー)』フマニタス、2006年、24-26 頁。

*54: 1987年11月に改正された労働組合法をみると、労組の政治活動の禁止、第三者の介入禁止、複数労組の不認定など、企業別組織と活動の枠を超えた労組活動を制約する抑圧的条項は、そのまま維持された。その原因として、崔は「労働者らの政治勢力化の失敗」を取り上げる。それは、「分断」下で正当化されつつあった高度の公権力を持った強い国家があったからであるという。「労働排除的社会文化」に対する崔の含意は、民主化過程が保守的な与野党の主導によって政治の枠が形成され、また組織労働者を含む運動勢力の政治参加がその枠の中で実質的に排除され、今でもその環境が続けられていることを指す。崔章集『한국의 노동운동과 국가(韓国の労働運動と国家)』ナナム出版、1997年、355-444頁。

*55: ダールは、市場資本主義と民主主義とを「敵対的共生関係」と見なす。市場資本主義は権威主義体制を溶解させるなど、民主主義の発展にとって友好的に作用する反面、民主主義体制への移行後には、市場資本主義によって大量に生産される不平等が市民の間に深刻な政治的不平等を生み出すという。Robert A. Dahl, On Democracy, Yale University Press, 2000, pp.178-179.

*56: 詳細は本書の第四章から第七章にかけて論証することにする。

*57: 韓国における10大財閥の付加価値の生産がGDPに占める割合をみると、1970年代に23.4%であったのが2010年代に至っては48.5%まで増加している。しかも、財閥への法人税率は2002年に28%であったのが、2016年に至っては12%まで引き下げられている。これに比べて、韓国の労働生産性は2013年を基準として、OECDの34か国の中で25位にとどまっているだけではなく、6か月以下の短期雇用の割合もOECD国家の中で最も25%であった。結局、これらのことは、90%以上の国民に深刻な格差社会に対する問題意識を持たせるに至った。経済・人文社会研究会『우리 사회는 공정한가: 통계와 사례로 바라본 한국 사회의 공정성(わが社会は公正であるか: 統計と事例からみた韓国社会の公正性)』韓国経済新聞社、2012年、68頁、148頁。

*58: 詳細は本書の第一章で述べることにする。

*59: 滝沢秀樹「経済成長と階層: 韓国社会の矛盾と葛藤」渡辺利夫編『概説韓国経済』有斐閣選書、1992年、193頁。; 渡辺利夫「韓国: 経済発展と権威主義の溶解」『アジア研究』第36巻3号、1990年、21頁。

*60: ヴィヴィアン・シュミット「アイディアおよび言説を真撃に受け止める: 第四の「新制度論」として の言説的制度論」小野耕二 編著『構成主義的政治理論と比較政治』ミネルヴァ書房、2009年、83頁。

*61: 本書に使われている「社会的合意」とは、各々の対案およびアイディアが各界各層での同意もしくは黙認が得られることとして、主に反政府運動の有無・多少や選挙結果で判断される。本書では「対案形成」および「安保論理」が「社会的合意」と同義語として使われるようにみえるが、「社会的合意」とは特定のアイディアが社会的に受容されていて、それに対する反対側のアイディアが全く効かなくなる状態の総称である。

索引

  • 数字
    • 2・7大会 257
    • 2・12総選挙 190, 206, 208, 209, 217, 222, 230, 234, 240
    • 3・3大会 257
    • 4・13護憲措置 24, 55, 247, 248, 250, 251, 252, 253, 254, 256, 257, 261, 262, 264, 265
    • 4・19革命 12, 121, 122, 123, 143, 259, 271
    • 4大軍事路線 125
    • 5・3仁川事態 234, 235, 236, 237, 241, 248, 254, 257, 273
    • 5・18事態収拾対策委員会 175
    • 6・10国民大会 254, 255, 256, 257, 258, 259
    • 6・18催涙弾追放大会 260
    • 6・26国民平和大行進 260, 262, 263
    • 6・29宣言 9, 23, 57, 58, 247, 271, 272
    • 6項目特別措置 129
    • 8・15共同宣言 196
    • 10・28建国大学事件 24, 237, 239, 240, 248, 251, 254, 256, 257, 273
    • 12・12事態 53, 136, 137, 140, 159, 162, 195
    • 15人学生収拾委員会 175
    • アルファベット
    • A・ダウンズ 48
    • B・ムーア 59
    • D・ノイバウアー 42, 43
    • KAL機撃墜事件 198, 199, 200, 201, 206, 209
    • P・カットライト 42
    • S・ハガードとR・カウフマン 59, 62, 63
    • W・ロストウ 40, 41
    • YH貿易事件 132
  • あ行
    • アクター中心理論 23, 47, 48, 52, 53, 55, 58, 89, 90
    • アクター選択領域 23, 103
    • 新しい社会運動論 275, 276
    • 新しい社会的合意 24, 109, 241, 247, 250, 254, 277
    • 安保総力体制 12, 128, 129, 130, 131, 134, 135
    • 安保論理 12, 14, 15, 16, 24, 99, 100, 102, 106, 108, 109, 120, 122, 124, 125, 126, 127, 128, 131, 134, 135, 136, 137, 139, 140, 142, 143, 160, 161, 163, 164, 167, 168, 170, 171, 172, 176, 180, 181, 189, 190, 193, 194, 195, 196, 198, 199, 200, 201, 202, 206, 208, 209, 217, 219, 221, 222, 225, 227, 230, 234, 235, 237, 239, 240, 241, 247, 248, 250, 255, 256, 258, 259, 261, 263, 264, 265, 272, 274
    • 維新体制 12, 53, 60, 94, 96, 129, 130, 131, 132, 134, 136, 161, 162, 177, 179, 252
    • 一千万人改憲署名運動 229, 230, 231, 234
    • 尹善 122, 124, 125
    • 尹ソンソク 63
    • 上からの民主化 49, 50
    • 蔚珍・三陟地区武装共匪浸透事件 125, 126
    • 馬仁燮 60, 89
    • 援助物資 123
    • 欧米留学生スパイ団事件 226
    • オドンネルとシュミッター 48, 49, 50, 52, 62
    • 親北左傾勢力=容共分子 193
    • 親財閥政策 205, 230
    • 親民主主義勢力 60
    • オリンピックの成功・平和的政府移譲 225, 241, 248, 250, 261
  • か行
    • 階級構造 59, 61, 97
    • 改憲闘争 228, 229, 231, 232, 234
    • 戒厳令の全国拡大 170, 250
    • 学園安定法試案 225
    • 学徒護国団 130, 163, 164, 171
    • 学内民主化 163, 164, 273
    • 画期的事件 105
    • 金世鎮・李載虎焼身自殺事件 233
    • 釜馬民主抗争 46, 133, 134
    • 韓国女性団体連合 252, 253
    • 韓国労働者福祉協議会 204, 205
    • 官製野党 179, 208, 222
    • 議院内閣制への改憲 248, 249, 253
    • 機会主義的態度 60
    • 危機意識 11, 119
    • 危機的状況 62, 166
    • 北朝鮮の全面南侵説 170
    • 機能主義 40
    • 木宮正史 97, 98, 99
    • 金泳三 64, 133, 134, 138, 161, 162, 174, 195, 196, 197, 203, 208, 229, 248, 252, 253, 262
    • 金泳三の断食闘争 195
    • 九老連帯闘争 205
    • 共産主義化の脅威 120
    • 強制入隊 179
    • 清溪被服労組復旧 205
    • 金泳明 95, 96, 100
    • 緊急措置 133, 134, 135, 137, 163
    • 金朱烈 121
    • 金錫俊 53, 54
    • 近代化理論 23, 39, 40, 41, 42, 43, 44, 45, 46, 47, 49, 51, 52, 56, 58, 66, 69, 89, 90
    • 金大中 64, 125, 129, 138, 162, 163, 174, 178, 179, 180, 196, 197, 203, 233, 234, 248, 262, 264
    • 金大中内乱陰謀事件 179, 180
    • 金載圭 12, 136, 161
    • 軍部権威主義体制の成立・安定期 23, 102, 103, 121
    • 軍部権威主義体制の動揺期 23, 103, 127
    • 軍部権威主義体制の崩壊期 23, 103, 135
    • 経済安定化 141, 142, 144, 189
    • 経済企画院 126, 131
    • 経済自律化政策 61, 63
    • 現行憲法維持 249
    • 憲政中断 12, 13
    • 言説 21, 22
    • 権力資源論 276
    • 言論浄化 180
    • 合意の動員 276
    • 光州事件 9, 15, 23, 54, 63, 95, 106, 135, 136, 140, 142, 143, 159, 173, 174, 176, 177, 180, 190, 191, 193, 194, 195, 198, 206, 208, 209, 250, 251, 252, 263, 271
    • 光州事件真相究明委員会 218
    • 光州事件真相調査 221
    • 公職追放 177
    • 構成主義アプローチ 104
    • 構造的構成主義アプローチ 104
    • 構造領域 101, 102, 103, 104, 105, 106, 109
    • 拷問および容共操作阻止共同対策委員会236, 239
    • 国民団結および国民和合 189, 199, 200, 202, 206, 217, 222, 225, 241, 273
    • 護憲撤廃・独裁打倒 258, 259, 261
    • 国家主導型産業化 61
    • 国家的危機状況 138, 171, 174
    • 国家と社会の兵営化 129
    • 国家の資本独占 120, 191
    • 国家非常事態 129
    • 国家保安法 12, 179, 194
    • 国家保衛非常対策委員会 12, 136, 177
    • コミュニケーション的相互行為 21
    • コミュニケーションの場 208
    • 御用教授 163
  • さ行
    • 崔圭夏 136, 160, 164, 165, 173, 174, 175, 176, 177
    • 済州4・3事件 94, 105
    • 崔章集 92, 100
    • 最小的・象徴的レベル 254
    • 先安保・後政治発展 12, 24, 100, 102, 104, 108, 109, 136, 142, 160, 163, 164, 165, 167, 172, 177, 181, 189, 190, 191, 194, 195, 196, 198, 200, 201, 202, 206, 209, 217, 221, 222, 225, 234, 235, 240, 241, 247, 250, 254, 259, 264, 272, 276
    • 先成長・後分配 98, 126
    • 左傾不穏書籍 223
    • 佐野孝治 60
    • 三清教育隊 178, 204
    • 三選改憲 126, 128
    • 自主国防と国防産業の増進 130
    • 下からの民主化 49, 50
    • 資本主義体制 60, 68, 96, 217, 226, 265
    • 資本独占 15, 120, 191, 240
    • 社会悪一掃特別措置 178
    • 社会還元主義 40, 47, 58, 70
    • 社会経済的不平等問題の是正 16, 17, 19, 57, 217, 265, 273
    • 社会騒擾事態 172, 177
    • 社会的合意 23, 24, 100, 104, 105, 106, 107, 108, 109, 110, 159, 177, 180, 190, 191, 194, 195, 198, 201, 202, 217, 241, 247, 248, 253, 254, 256, 258, 259, 261, 263, 264, 265, 272, 276, 277
    • 主意主義 58, 66, 93
    • 重化学工業 60, 63, 130, 131, 135, 141
    • 集団的記憶 105, 106, 160, 177, 180, 190, 193, 272
    • 除籍学生復校対策委員会 203
    • 自律化措置 54, 55, 99, 189, 194, 198, 202, 203, 204, 205, 206, 207, 208, 209, 219, 222, 225, 228, 273
    • 自律浄化決意 177
    • 新韓民主党 208
    • 新軍部 12, 63, 64, 106, 136, 137, 138, 139, 140, 142, 159, 161, 162, 163, 179, 180, 263, 272
    • 信託統治 119
    • 進歩党事件 11
    • シンボル操作 100, 102, 106, 169, 171, 180
    • 青瓦台襲撃未遂事件 125, 127
    • 成炅隆 54, 57, 89
    • 政治的機会構造 277
    • 政治風土刷新法 179
    • 制度的要因 64, 66, 68, 69
    • 制度としての軍部 65, 66, 160
    • 政府としての軍部 65, 66, 160
    • 全階層的参加 16
    • 選挙制度の歪曲 15, 191
    • 全軍主要指揮官会議 165
    • 選好 50, 53, 56, 58, 90, 97, 100
    • 全国学生総連合 228
    • 全国反外勢・反独裁愛国学生闘争連合 237
    • 全国民的参加 255
    • 曺奉岩 11
    • 曺喜 54, 57
    • ソウル米文化院占拠示威事件 218, 220, 221, 227, 239
    • ソウル地域大学生協議会 257
    • ソウル労働運動連合 205
  • た行
    • 第1次経済開発5か年計画 125
    • 第2次経済開発5か年計画 127
    • 対案 15, 16, 17, 18, 102
    • 対案形成 18, 24, 107, 109
    • 大学生の前方入所訓練拒否運動 232, 233, 241, 273
    • 体制変動の三層領域 23, 100, 101, 119, 271
    • 大統領直接選挙制への改憲 9, 16, 18, 20, 22, 24, 54, 55, 57, 58, 66, 67, 69, 70, 89, 90, 98, 99, 100, 104, 107, 109, 135, 144, 209, 217, 227, 230, 237, 239, 240, 241, 247, 248, 250, 251, 252, 254, 255, 256, 258, 262, 263, 264, 265
    • 妥協 50, 52, 54, 55, 56, 58, 65, 67, 68, 70
    • 武田康裕 66
    • 知識青年層 195
    • 張勉 12, 121, 122, 123, 124
    • 中央情報部 64, 126, 128, 131, 135, 136
    • 中間過程 44, 47, 64, 69, 70, 89, 90, 95
    • 朝鮮戦争 66, 91, 92, 93, 94, 105, 119, 124, 125, 142, 196, 201, 223, 224
    • 低賃金・低穀価 229
    • 鄭昇和 12, 136, 160, 161
    • 統一主体国民会議代議員 130
    • 統一民主党 251, 252, 260
    • 独占財閥 205, 207, 229, 250
  • な行
    • ニクソン・ドクトリン 95, 128, 130
    • 二段階の分析枠組 23, 101, 109, 110, 271, 273, 274
    • 認識領域 23, 91, 101, 102, 103, 104, 105, 109, 110, 143, 275
  • は行
    • 派閥闘争 122
    • ハン(HanSung-Joo) 45
    • 反共主義国家の確立・祖国近代化 12, 121
    • 反共的権威主義体制 94
    • 反政府運動の再活性化 194
    • 反帝・反ファッショ民族民主闘争 232
    • 反米自主化反ファッショ民主化闘争委員会 231
    • 反米反帝 240
    • 反米・反ファッショ 234
    • 非危機的状況 62
    • 非常戒厳の全国拡大 173
    • 左・右の理念闘争 119
    • 非暴力闘争 255
    • 富川警察署性拷問事件 236, 248, 251, 257, 263, 264
    • 釜山米文化院放火事件 189, 190, 191, 192, 193, 194, 195, 196, 197, 201, 206, 209, 221, 226, 227, 272
    • プシェヴォスキ 48, 50, 51, 52
    • 普遍主義 40
    • フレーミング論 277
    • 文化6団体 251
    • 分断体制 94, 95, 97
    • 兵営集体訓練拒否運動 164, 166
    • 暴動 172, 174
    • 朴鍾哲拷問致死事件 54, 55, 251, 253, 257, 264
    • 朴正熙大統領暗殺事件 12, 23, 53, 106, 136, 138, 159, 160, 161, 166, 171, 172, 180, 190, 272
    • 朴一 60
    • 朴槿恵 14
    • 保守独占的政党体制 16
  • ま行
    • 三つの亀裂 92
    • 民国漣 233
    • 民衆教育誌事件 223
    • 民主化運動青年連合 197, 218
    • 民主化実践家族運動協議会 252
    • 民主化推進協議会 196, 203
    • 民主憲法争取国民運動本部 253
    • 民主主義の定着基準 17
    • 民主統一民衆運動連合 230
    • 民推委事件 227
    • 民正党舎占拠示威事件 206, 207, 227
    • 民族解放 142, 144
    • 民族統一 142, 144, 240
    • 明洞聖堂 253, 259, 260
    • 文在寅 17
    • 森山茂徳 94, 100
    • 問題提起 15, 16, 24, 92, 94, 102, 104, 106, 108, 109, 135, 137, 161, 163, 181, 190, 191, 194, 198, 202, 206, 217, 221, 228, 234, 241, 256, 258, 263, 264, 265, 272, 273, 274
  • ら行
    • ラングーン事件 199, 201, 206, 209
    • 李承晩 12, 121, 122
    • リスク 50, 51, 56
    • 李韓烈事件 260
    • 李明博 14
    • 李敏雨構想 248, 251, 254
    • リプセット 41, 42
    • 理論の統合 277
    • 林赫伯 53, 54, 89
    • リンスとステファン 59, 64, 65, 66
    • ルーシェマイアー 59, 60
    • 冷戦構造 95, 97
    • 麗水・順天事件 94
    • レーガン 200
    • 歴史的制度論 21, 23, 58, 59, 68, 69, 89, 90, 95, 97
    • 歴史の順理論 162
    • 労働組合の量的膨張 131
  • わ行
    • 渡辺利夫 44