アジア環太平洋研究叢書 5 ミクロヒストリーから読む越境の動態

王柳蘭・山田孝子 編
書影『ミクロヒストリーから読む越境の動態』

移民・難民など越境者が受入国で生み出す社会的結びつきと相互の差異を通して、故郷と帰属をめぐる重層性の課題を追究し、「個をめぐる生の物語」をたどり「人間存在」を浮き彫りにする。(2023.4.10)

定価 (本体3,500円 + 税)

ISBN978-4-87791-320-5 C320 341頁

目次

    • 序章 越境者の生をめぐる動態とミクロヒストリーの視角王柳蘭・山田孝子
      • はじめに
      • 1 問題の所在 ――越境者へのミクロヒストリーの視座
      • 2 本書のミクロヒストリーへの人類学的視座
      • 3 本書の構成
      • おわりに
  • 第1部 故郷と帰属をめぐる重層性
    • 第1章 日本の越僑(Việt Kiều)二世世代の「帰還」経験 ――2010年代を日本とベトナムで生きること瀬戸徐映里奈
      • はじめに
      • 1 本国へ「帰還」する越僑たち
      • 2 越僑二世世代の若者たち
      • 3 本国「帰還」前後のベトナムへの眼差し ――父母の故郷としてのベトナム
      • 4 親類たちとの関わりとベトナム社会からの眼差し
      • 5 在越「日本人」社会と越橋からの眼差し ――日越の狭間で
      • おわりに
    • 第2章 故郷を見出す ――南スーダン共和国ジュバとハルツームからの帰還民飛内悠子
      • はじめに
      • 1 ハルツームからジュバへの帰還
      • 2 ジュバでの生活 ――ノア一家の事例から
      • 3 差異のぶつかり合う場所 ――マリアの経験から
      • おわりに
    • 第3章 亡命チベット人にみる帰属意識の複相性と生活戦略山田孝子
      • はじめに
      • 1 チベット難民の現状
      • 2 学校教育の導入・整備と包括的帰属意識の形成
      • 3 キャンプから居留地、欧米への再定住と帰属意識の動態
      • おわりに ――亡命チベット人の帰属意識の複相性と生活戦略
  • 第2部 せめぎあう空間 ――ホストと越境者が生み出す社会的結合と差異
    • 第4章 紛争による人の移動が作り出した地域社会におけるつながりと差異 ――ウガンダの難民居住地における難民と移民のミクロヒストリー村橋勲
      • はじめに
      • 1 北東・東アフリカとウガンダにおける人口移動と難民政策
      • 2 難民居住地とその周辺地域における多民族性
      • 3 南スーダン難民とウガンダ人の社会経済的つながり
      • 4 難民居住地におけるエスニック共同体の形成
      • おわりに
    • 第5章 境界の可視性と不可視性 ――マレーシアにおけるインドネシア人労働者の現地化のミクロヒストリー加藤裕美
      • はじめに
      • 1 マレーシアにおけるインドネシア人労働者の増加
      • 2 移住者を受け入れるブラガの地域史
      • 3 移住者との共住空間の歴史的な形成
      • 4 境界の可視性と不可視性
      • おわりに
    • 第6章 ミクロヒストリーを通じて考える対立の記憶 ――ベトナム南部メコンデルタ多民族混淆社会の経験と場をめぐる歴史語り下條尚志
      • はじめに
      • 1 民族とナショナルヒストリー
      • 2 多民族混淆社会の歴史経験を読み解く
      • 3 土地神をめぐる民族的な歴史語り
      • おわりに
  • 第3部 個をめぐる生の物語と共生への模索
    • 第7章 樺太日本人慰霊碑はなぜ建立できたのか ――日ソ戦後サハリンにおける樺太旧住民慰霊碑等建立のミクロヒストリー中山大将
      • はじめに
      • 1 歴史的背景
      • 2 ソ連/ロシア戦争記念碑と引揚者の被害言説
      • 3 日ソ戦関連碑
      • 4 朝鮮人・先住民族慰霊碑
      • 5 墓参碑
      • 6 旧住民碑民間型
      • 7 旧住民碑行政型
      • おわりに
    • 第8章 海を渡った一族 ――沖縄の座間味島をめぐる移動史藤本透子
      • はじめに
      • 1 沖縄の座間味島とその歴史的背景
      • 2 中国の福建から沖縄島を経て座間味島へ ――伝承と家譜
      • 3 座間味島の「唐船乗り」 ――中国航路の船員として
      • 4 カツオ漁業と南洋への展開 ――漁師とその息子たち
      • 5 戦前の本州への移住 ――新たな知識と職を求めて
      • 6 戦時中から「本土復帰」後にかけて ――徴兵と引揚げ、新たな移住、そして故郷訪問
      • おわりに
    • 第9章 越境経験の物語と自己意識 ――タイ・ビルマ国境域における雲南系ムスリム・パンロン人を事例に王柳蘭
      • はじめに
      • 1 物語化される移住史 ――系譜意識と開拓者たち
      • 2 パンロンの伝承にみる首領たち
      • 3 首領たちを通した民族間関係とまとまり
      • 4 パンロン村の消滅とその後
      • おわりに ――ディアスポラの物語が問いかけるもの
    • あとがき
    • 編著者紹介
    • 索引

著者紹介

編著者紹介

序章・第9章 王柳蘭(おう・りゅうらん)
同志社大学准教授、博士(人間・環境学)。主な著作に「ディアスポラ・コミュニティの再構築と信仰の継承――神戸華人とクリスチャン」『辺境コミュニティの維持――島嶼、農村、高地のコミュニティを支える「つながり」』(本村真編著、ボーダーインク、2020年)、『越境を生きる雲南系ムスリム――北タイにおける共生とネットワーク』(昭和堂、2011年)、Liulan Wang-Kanda, “Bottom-up Coexistence: The Negotiation of Chinese Ethnicity, Islam, and the Making of Ethno-religious Landscapes among Yunnanese Muslims in the Thai-Myanmar Borderland", in Takako Yamada and Toko Fujimoto eds., Migration and the Remaking of Ethnic/ Micro-Regional Connectedness. Senri Ethnological Studies No.93: 49-64, 2016.
序章・第3章 山田孝子(やまだ・たかこ)
京都大学名誉教授、理学博士(京都大学)。主な著作に『人のつながりと世界の行方―コロナ後の縁を考える』(英明企画編集、2020年、編著)、「第4章 リーダーシップとコミュニティの維持―トロント・チベット人社会における「寄り合いの場」建設の事例から」『辺境コミュニティの維持―島嶼、農村、高地のコミュニティを支える「つながり」』(本村真編著、ボーダーインク、2020年)、「ホスト社会における難民の自己再定置と共同性再構築・維持―トロント・チベット人社会の事例から」『金沢星稜大学人間科学研究』9(1): 83-90、2015年、Takako Yamada and Toko Fujimoto eds., Migration and the Remaking of Ethnic/Micro-Regional Connectedness. Senri Ethnological Studies No. 93, Osaka: National Museum of Ethnology, 2016.
第1章 瀬戸徐映里奈(せと・そ・えりな)
近畿大学特任講師、修士(農学)。主な著作に「『亡国の越境者』の100年――ネットワークが紡ぐユーラシア近現代史』(風響社、2020年、共著)、「食の調達実践にみる在日ベトナム人の社会関係利用――一世世代に着目して」『ソシオロジ』62(1): 61-78、2017年6月、Erina Seto-Suh, “Everyday Practices of Immigrant Vietnamese Women in Japan in Obtaining Ingredients for the Food of Their Homeland", in Noriko Ijichi, Atsufumi Kato and Ryoko Sakurada eds., Rethinking Representations of Asian Women: Changes, Continuity, and Everyday Life, New York: Palgrave Macmillan, 2016.
第2章 飛内悠子(とびない・ゆうこ)
盛岡大学准教授、博士(地域研究)。主な著作に「難民支援と信仰を基盤とした組織――北部ウガンダにおけるクク人とスクリプチャー・ユニオン」『難民研究ジャーナル』No.10、2021年、「コミュニティを御する人びと――北部ウガンダにおける人の移住とその暮らし」『政治主体としての移民/難民――人の移動が織り成す社会とシティズンシップ』(錦田愛子編、明石書店、2020年)、『未来に帰る――内戦後の「スーダン」を生きるクク人の移住と故郷』(風響社、2019年)。
第4章 村橋勲(むらはし・いさお)
静岡県立大学助教、博士(人間科学)。主な著作に『南スーダンの独立・内戦・難民―希望と絶望のあいだ』(昭和堂、2021年)、「〈文化〉の収集における協働と葛藤―南スーダンと難民キャンプにおける現地の人々とのかかわりあい」『かかわりあいの人類学』(栗本英世・村橋勲・伊東未来・中川理編著、大阪大学出版会、2022年)、Isao Murahashi, “Refugee Mobility and Uncertain Lives: Challenges and Agency of South Sudanese Refugees in Uganda", ASC-TUFS Working Papers, 1(2): 83-102, 2022.
第5章 加藤裕美(かとう・ゆみ)
福井県立大学准教授、博士(地域研究)。主な著作に『世界の工芸と観光―手しごと・美しさ・豊かさ』(晃洋書房、2020年、共著)、「森のキャンプ・定住村・町をまたぐ狩猟採集民―ボルネオ、シハンの現代的遊動性」『狩猟採集民から見た地球環境史―自然・隣人・文明との共生』(池谷和信編、東京大学出版会、2017年)、Yumi Kato, “Resilience and Flexibility: History of Hunter-Gatherers' Relationships with Their Neighbors in Borneo", Senri Ethnological Studies No. 94: 177-200, 2016.
第6章 下條尚志(しもじょう・ひさし)
神戸大学准教授、博士(地域研究)。主な著作に『国家の余白―メコンデルタ 生き残りの社会史』(京都大学出版会、2021年)、『戦争と難民―メコンデルタ多民族社会のオーラル・ヒストリー(ブックレット≪アジアを学ぼう≫42)』(風響社、2016年)、Hisashi Shimojo, “Local Politics in the Migration between Vietnam and Cambodia: Mobility in a Multi-Ethnic Society in the Mekong Delta since 1975." Southeast Asian Studies 10 (1): 89-118, 2021.
第7章 中山大将(なかやま・たいしょう)
釧路公立大学准教授、京都大学博士(農学)、北海道大学博士(文学)。主な著作に『亜寒帯植民地樺太の移民社会形成――周縁的ナショナル・アイデンティティと植民地イデオロギー』(京都大学学術出版会、2014年)、『サハリン残留日本人と戦後日本―樺太住民の境界地域史』(国際書院、2019年)、『国境は誰のためにある?―境界地域サハリン・樺太』(清水書院、2019年)。Taisho Nakayama, “Japanese Society on Karafuto", in Svetlana Paichadze and Philip A. Seaton eds., Voices from the Shifting Russo-Japanese Border: Karafuto / Sakhalin, Oxon: Routledge, 2015.
第8章 藤本透子(ふじもと・とうこ)
国立民族学博物館准教授、博士(人間・環境学)。主な著作に『現代アジアの宗教―社会主義を経た地域を読む』(春風社、2015年、編著)、「船乗りの島に祖先を尋ねて」『季刊民族学(特集 沖縄―今に生きる記憶)』No. 181: 16-23、2022年7月、Toko Fujimoto, “Migration to the `Historical Homeland': Remaking Connectedness in Kazakh Society beyond National Borders", in Takako Yamada and Toko Fujimoto eds., Migration and the Remaking of Ethnic/ Micro-Regional Connectedness. Osaka: National Museum of Ethnology, Senri Ethnological Studies, No. 93: 127-159, 2016.

まえがき

越境者の生をめぐる動態とミクロヒストリーの視角

王柳蘭・山田孝子

はじめに

グローバル化によって人の移動が日常的にみられるようになった一方で、国家間戦争、民族・宗教紛争、貧困によって、移民・難民、国内避難民等が世界各地で発生している。こうした問題に対して、アセアンやEUのように、トランスリージョナル、トランスナショナルな地域統合や国家間の協力関係を構築する動きが加速し、人の移動を包括的に受け入れる素地が諸地域でしだいに形成されつつある。しかし、ヨーロッパや米国において急進的に進む移民・難民の排除と受容をめぐる多様な課題や矛盾が噴出する現状からもみてとれるように、移民・難民や国内避難民等は、いまだに国民国家の社会秩序を揺るがせる存在として眼差されている。これら「越境者」はどの国にも帰属しえないどっちつかずの境界的性格*1を付与され、よそ者として排除や忌避の対象とさえなる、国家と時代によって翻弄される「力弱き民」*2の位置から抜け出し得ていないように思える。

学術研究をみると、越境者をどの立場からどのような時代状況のなかで理解し、叙述するかによって、結ばれる像は多面的に変化してきたことが分かる。たとえば、ロビン・コーエンは地域を跨ぐ越境者の姿とその歴史的役割を、時代と地域、その特性ごとにさまざまなタイプに分類している。コーエンは、越境者が交易ディアスポラのように、複数の国家を経済的、文化社会的につなぐ、媒介者としての役割をもつことを指摘することもあれば、被害者ディアスポラのように、国民国家における中央対周縁といった政治的構図のなかで少数者、マイノリティとして矮小化され、あるいは危機管理や同化の対象として認識される場合もあると述べる。また、強制的な移動を伴う移民、余儀なく故郷を押し出された難民・避難民となれば、政治的外交的な交渉のなかで、国家と時代によって翻弄される力弱き民、あるいは、国家間関係による犠牲者としてシンボル化される傾向にあったと指摘する*3

他方、国家と移民・難民といったように二項対立的に両者を捉えるのではなく、国民国家のありさまと人びとの帰属の在り方は一義的ではなく、人が住まうことや旅すること、多様な場と場のつながり方へ関心がシフトしてきた*4。とりわけ、ジョン・アーリの主導する「移動論的転回」*5以降の研究では、移動を基盤にしない社会からモビリティとしての社会についての理解が進んだ。また、移民・難民研究においても、地域間の連結やトランスナショナルなつながりの重要性が指摘されてきた*6

本書は、移民・難民をめぐる今日の社会的情勢ならびに学問的動向を踏まえ、「ミクロヒストリー」の視座を活用し、マクロな国際関係やナショナリズムといった排他的な関係性の中で矮小化された越境者像を乗り超える視座を提供する。すなわち、越境者がさまざまな歴史的、外的条件によってその「生」を規定されながらも、他者との関係性を軸にしながら自己を再定置させ、自律的に生活世界を紡ぎだしていく社会的営為について多面的に描きだすことを目的とする。

1 問題の所在――越境者へのミクロヒストリーの視座

まず、本書のタイトルになっている「越境者」について触れておく。越境者とは第一義的には、地理的に移動を余儀なくされた人びと(避難民、難民)やみずから進んで移動を選択し、故地とは異なる土地に移動して生活を営む人びと(出稼ぎ者や移民)と定義することができ、移民・難民とは、ナショナルな地理的境界を越えていく人びとと認識される傾向にある。

しかし、じっさいには、人類は「ホモ・モビリタス」*7といわれるように、歴史的には地理的な空間を物理的に移動するのみならず、文化的・民族的境界線、さらには自己と他者との境界線を越えながら生活圏を拡大してきた。また、中山大将*8が明らかにしたように、人が国境を越えていくばかりではなく、国境が歴史的条件のもとで移動し、生活空間の質的変容や人と人の分断をもたらしてきたことも起きてきた。さらに、国連難民高等弁務官事務所の報告*9が示すように、世界各地には国境紛争や国境を越えて居住する民族集団がいまだ多く存在している。

こうした現象を踏まえ、本書で用いる「越境」「越境者」とは、単なる国境を越える、あるいは越えて移動する人びとという意味に限定されるものではない。フレドリック・バースのバウンダリー論*10を踏まえ、ここでの「越境」とは、国家の境界線のみならず、文化的・民族的境界線、さらには自己と他者との境界線を越えていく概念として用いる。このため、本書における「越境」とは自己の再定置を軸にして、他者関係が時間とともに変化していくありさまと捉え、時間軸の変化にともない所与の空間に対する自己認識も変化していくといった自他の境界の動態性をも指し示す概念とする*11

これまで、たとえば王柳蘭は、自他の境界に影響を受けつつ、人と人との相互作用から創出される社会文化的、政治的、経済的な場や空間を「ミクロ・リージョン」と定義し、この視角(視点)を援用して地域のダイナミズムの検討を越境者の視点から行った。具体的には、越境者がどのように地域に対して働きかけ、どのように意味づけしながら生きる場を創出しているのかを、彼ら/彼女らの生存戦略と主体的な社会関係に着目して明らかにした*12

また、山田孝子は、モントリオールで開催されたアメリカ人類学協会第110回研究大会において分科会を組織し*13、1990年代以降の先住民運動や文化復興運動を、マジョリティ社会のなかで周縁化されるマイノリティの自己再定置という観点から議論し、文化遺産、宗教、歴史性の共有がその核となることを明らかにした。この自己再定置という観点は、越境者の移住先における集団としての「生」の営みを考える際にも、重要な視角になりうるといえよう。さらに、山田は、越境者集団における自己再定置の問題を発展させる形で、彼らの共同性再構築に着眼し、藤本透子とともに越境者集団にみる移住先でのミクロ・リージョナルな(ミクロ・リージョンにおける)共同性再構築の動態を明らかにしてきた*14

ミクロ・リージョンにおける共同性再構築という問題は、辺境コミュニティの維持機能を考えるにあたっての重要な視座を提供してくれる。山田は、王、藤本とともに、琉球大学国際沖縄研究所共同利用・共同研究事業研究課題「島嶼・中山間地・農村地域の集落コミュニティの維持機能:アジア国際比較による地域研究対話」(研究代表:堀江典生)に研究分担者として加わり、「コミュニティ」が本来もちうる維持機能について、人の移動という観点を取り混ぜながら、地域、文化、民族を越えた多様性と何らかの共通性を検討した。さらに辺境あるいはトランスナショナルに生きるなかで希求する「つながり」の再構築過程は、辺境コミュニティにおけるコミュニティ維持の原動力になりうるものは何かを照射しうることを提示してきた*15。実際、人類社会における人と人との「つながり」を比較文化学的に眺めてみると、人類はさまざまなレベルでの「つながり」を作り上げ、しかも顔と顔を合わせられる場や機会を設け、互いの信頼性を作り上げてきたということが分かる*16。「つながり」は、ローカル/グローバルを越えるダイナミズムさえももちうる*17。本書がとりあげる越境者集団にとってもミクロ・リージョンにおける「つながり」の再構築は必須の生存戦略であるといえよう。

このようにミクロ・リージョンの概念を使った研究が、越境者を含めて、地域の内側で生きる人びとの交渉、対話やネットワーク等の相互行為にもとづく社会関係の集積と「人―地域空間」の共時的動態に着目するものである*18とすると、本書で提示するミクロヒストリーという視座にもとづく研究は、「人―地域空間」の生成を時間軸に沿って読み解こうとするものである。すなわち、ここではミクロヒストリーを、日常的な他者関係が累積される場とその記憶の在り方を通時的にみる視点と捉え、マクロな為政者や国家の立場ではなく、ローカルな、ミクロ・リージョンにおける生活空間のなかで、他者関係を軸にして形成されてきた、人びとの「生」の歴史的動態と定義する。移民・難民をはじめとした人の移動をめぐる社会的営為は、下條尚志が『国家の「余白」――メコンデルタ生き残りの社会史』*19において明らかにしたように、一国史や王朝史のなかでは断片的にしか記述されず、歴史的資料としては残存しにくい。そのうえに、ローカルな場で生じる多様な他者関係やコミュニケーションの履歴は不可視にされがちとなる。越境者を含む少数者の生きられた日常世界と歴史は、大きな歴史的事件やマクロヒストリーのなかでの因果関係や経済的・政治的要因による図式的な解釈では捨象されがちである。

これに対し、ミクロヒストリーのアプローチは、彼らの「生」を浮き彫りにするうえで有効であるといえる。この研究アプローチは、越境・移住集団の定住化過程における、歴史性の共有や日常的な「つながり」を可能とするミクロなレベルでの共同性あるいは共同体意識の再構築の様態に着眼することであり、これをとおして彼らのマジョリティのなかでの自己再定置という「生」の営みを明らかにしうるものといえる。

2 本書のミクロヒストリーへの人類学的視座

伝統的に文字を持たない社会を対象にして研究を進めてきた人類学は、社会・文化の通時的動態を明らかにする手法としてオーラル・ヒストリーやライフヒストリーを用いたアプローチをとってきた歴史をもつ。たとえば、川田順造は、口頭伝承をもとに西アフリカのモシ王国の歴史を描き出している*20。また、オスカー・ルイスの『サンチェスの子どもたち』(みすず書房、1969[1961])、『貧困の文化――メキシコの〈五つの家族〉』(筑摩書房、1985[1959])、エドワード・H・ウィンターの『“月の山"の彼方――アフリカ一夫多妻の記録』(宮川書房新社、1968)といった古典的研究が示すように、個々人のライフヒストリーをもとに、対象社会の文化的特徴が描き出されてきた。

こうしたなか、歴史への人類学的アプローチの有効性が唱えられ*21、口頭伝承による無文字社会の歴史の解明*22や、民族の政治性や虚構性のよりどころが「われわれ意識」といった集団意識にもとづく歴史性にあるといった主張が具体的な民族誌的記述にもとづいて検証されてきた。同様に、地域の認識についても、当該地域に生きる人びとのコミュニケーションと相互行為が累積したプロセスとして地域の生成のあり方を見る立場が主張された。その際、他者との相互行為のコンテキストによって、歴史的事実の因果関係も一義的ではなく、多様な解釈の幅と揺れをもつことが指摘されてきた。また、杉島敬志は、国家や為政者による制度化や規範化が必ずしも権力による画一的な波及効果をもたらすものではなく、周縁と中心の関係、コミュニケーションの濃淡によって地域や人びとによって異なる解釈の幅と相互作用を生み出し、その結果、地域固有の変化を累積的に及ぼすことを浮き彫りにできるとした。こうした見方を杉島はミクロロジーのアプローチと呼んだ*23。さらに、アフリカ地域を対象とする人類学研究において、小史(micro-history) を対象社会のなかでの経験の通時的記述法として捉え、当該社会の特色を描く試みも行われてきた*24

本書におけるミクロヒストリーも、こうした人類学的な歴史についての問題意識を共有している。事実の因果関係を規定し、その再構成としての歴史を明らかにすることが目的にあるのではない。むしろ、時間軸にそって展開していく自己と他者との相互作用のなかで育まれる自己意識、帰属意識、そして語りや伝承を含めた物語とその想起や再生に目をむけることに重点を置いている。日常性にもとづいた他者とのコミュニケーションとその関係性を時間軸にそってみていくことで、一国史観やマクロヒストリーのみではけっして収れんしえない、ローカルな他者関係の持続と変容、人びとの生活戦略といった越境者の主体性を明らかにすることが可能となる。

一方、ミクロヒストリーという概念は歴史学においても用いられてきた。歴史学者ジョヴァンニ・レーヴィは、「ミクロヒストリー(イタリア語でミクロストーリア)は1970年代のかなり一般的な政治的・文化的論争のなかで生まれてきたもの」*25と述べ、また、カルロ・ギンズブルグが1977年か1978年にジョヴァンニ・レーヴィからミクロヒストリーという言葉を初めて聞いたと回想している*26ように、1970年代に登場してきたアプローチである。

ギンズブルグやレーヴィらのイタリアの歴史家たちが提示するミクロヒストリーの方法論は、とくに1990年代に入ると、歴史研究の新しいアプローチとして世界的にも注目を浴びるようになる*27。ギンズブルグは、「ランダムに選ばれた一つの人生は世界を統合する試みと同時にそれが含意するものを具体的に可視化することができる」と述べ*28、レーヴィもまた、「すべてのミクロストーリア的研究を統一する原理は、顕微鏡的観察によって、以前には観察されなかった要素が明らかになるという確信である」と*29、ミクロヒストリーの意義を指摘する。レーヴィはまた、ミクロヒストリーは歴史学の実践であり、その目的は過去の世界の組織化と説明を行うことのできる歴史学の構築にあることを示唆する*30。ギンズブルグも、また、「ミクロストリアは歴史へのひとつの分析的アプローチとして構想されたものであって、世界史に対立するどころか、実際には世界史の不可欠の道具とみなされてよい」と述べる*31。こうした研究動向において、ギンズブルグがまた、「歴史を逆なでしながら読む」ことの重要性を指摘し、権力関係に根差した歴史的論拠の再生産によって特定の歴史的知識が蓄積されることへ警鐘を鳴らした*32点は、本書のミクロヒストリーの視座とも共通するものである。

また、本書の視座は、社会史という点から従来の叙述では欠落していた都市下層民や庶民の歴史を掘り起こすことによって、歴史研究や叙述の枠組みに変更を迫った阿部謹也の次のような捉え方とも、共通する。「土地から離れてしまったとき、地域と人とはどのような関係をもつのか、西ドイツの社会のなかで目にみえない地域によって結ばれた、これらの人びとがこれからどのような形で新しい地域住民の意識を育ててゆくのか、などここにはいろいろな問題が生れてきます。……中略……。これらの難民の意識と地域の意識との関係を考えてゆかなければならない段階にきていると思われます。西ドイツにおいてもヴェトナム難民が入っていますし、おそらくこれから世界の各地で地域は常に流動的要因をかかえこんでゆくことになると思われるからです。これらの流動的要因を包摂した地域社会の研究においては、私は社会史的分析視角が不可欠だと考えるのです」*33

以上に述べたように、本書がめざす人類学的視点からのミクロヒストリーは、ミクロな事象、特定の生活空間に暮らすミクロな集団の動態を対象とするという点では、歴史学におけるミクロヒストリーと共通する問題意識をもつといえよう。こうした問題意識は、歴史叙述や民族誌の記述において、書き手(分析者)のパースペクティブから、書かれる人のパースペクティブをも包摂する多声性とも共鳴する*34。この問題意識に基づく本書のねらいは、為政者や国家による「大きな物語」の脱中心化を促し、国民国家においては周縁化されがちであった移民・難民の語りを可視化していくこととなる。ミクロヒストリーは、ある特定の地域との関わりのなかで、越境者が〈何をしたか〉といった出来事とその因果関係にのみ関心をもつのではなく、人びとが自己をめぐるさまざまな他者との関係性のなかで、〈如何に生きたか〉に軸足をおき、その「生」の営みを多角的に明らかにする方向性へと扉を開くことを企図するものである*35

3 本書の構成

本書における越境者を対象とするミクロヒストリーの視座は、彼らの生きざま、「生」の営みの通時的展開をとりあげることをとおして、彼らが集団としての社会関係のもとで生きるなかで、いかなる形でマジョリティ社会のなかでの自己再定置を成し遂げ、集団性、共同性を再構築していくのかを明らかにするものである。本書でとりあげた越境者の自己再定置の動態は、(1)故郷と帰属をめぐる重層性、(2)ホストと越境者が生み出す社会的結合と相互の差異、(3)個をめぐる生の物語という3点を浮かび上がらせるものとなっている。本書のミクロヒストリーの視点は、この点で、過去の出来事に関する普遍的な構造を明らかにしようとする歴史学とは一線を画すものであることを付記しておきたい。

本書は、以上の3点を軸に3部構成をとる。第1部は、「故郷と帰属をめぐる重層性」をテーマに、故郷を離れた人びとの故郷観の変遷と地域認識をとりあげ、故郷が多様な関係性のなかで実体化され、人びとに「地域」として、帰属意識の核として共有され、見出されるプロセスと戦略に着目する。第2部は、「せめぎあう空間――ホストと越境者が生み出す社会的結合と差異」をテーマに、ホスト社会と越境者を含めた多言語・多民族的な状況にあるローカルな場をめぐる他者認識と差異の通時的変遷、社会的結合のせめぎあいを記述する。第3部は、「個をめぐる生の物語と共生への模索」をテーマに、国際関係をはじめとするマクロな関係性のみではとりこぼされるミクロな場や日常生活における集団内部の差異、戦争をめぐる個人や家族の歴史的経験と記憶をとりあげ、越境者が歴史をいかに生きたのか、その通時的変遷を描き出す。

第1部第1章の瀬戸徐映里奈論文「日本の越僑(Việt Kiều)二世世代の「帰還」経験――2010年代を日本とベトナムで生きること」では、日本育ちのベトナム人2世がとりあげられ、若者たちがなぜ本国への「帰還」を必要とし、その経験がその後の生活にどのような影響を与えているのかが論じられる。日本を離れてあえてベトナム本国での「留学」あるいは、現地の会社での就職を選択する若者たちの姿を通じて、かつて所属していた国家との断絶を経験した難民たちが、世代を重ねて本国社会とのつながりを回復させていく過程を重層的に描き出す。

第2章の飛内悠子論文「故郷を見出す――南スーダン共和国ジュバとハルツームからの帰還民」は、南北スーダンをめぐるマクロな歴史と南部人のハルツームでの経験を踏まえつつ、ハルツームで人生の長い期間を過ごし、第2次内戦の終結とその後の南スーダン独立に伴い、南スーダン、特に首都ジュバへと「帰った」人びとの移住の過程と故郷への帰属意識の変化を描き出す。本章は、南北スーダンにおける戦争に翻弄された歴史と人の移動のミクロヒストリーをとおして、越境者が故郷――地域――を選び取る過程を描くと同時に、人間にとっての移住とは何かを問い直すものとなっている。

第3章の山田孝子論文「亡命チベット人にみる帰属意識の複相性と生活戦略」では、チベットを離れて60余年を迎える亡命チベット人を対象に、難民居留地への再定住過程、再定住先での帰属意識の変化と学校教育における共同性を構築していく歴史的プロセスを描き出す。亡命チベット人が定住・再定住過程において、亡命政府、学校教育をとおして汎チベット主義を形成するとともに個別の地域主義を維持しながら、これらを両輪として自己再定置し、複相的帰属意識をもちながら、故地への帰還を目指していく生活戦略を明らかにしている。

第2部第4章の村橋勲論文「紛争による人の移動が作り出した地域社会におけるつながりと差異――ウガンダの難民居住地における難民と移民のミクロヒストリー」は、南スーダン難民と、難民居住地とともに発展したウガンダの町に集まった国内移民の関係性に着目し、双方の経済的かつ社会的つながりの創出プロセスや、エスニックな共同体を基盤とするトランスナショナルな社会的ネットワークが生み出されつつある状況を描き出している。

第5章の加藤裕美論文「境界の可視性と不可視性――マレーシアにおけるインドネシア人労働者の現地化のミクロヒストリー」では、サラワクの内陸部のロングハウスに居住するインドネシア人労働者が現地社会に入り込むなかで、ロングハウス住民と形成する日々の関係性が着目され、両者の間でどのように共住空間が形成されているのかが検討される。これをとおしてホスト社会の文化的論理と越境者の戦略が交差する力学の存在が指摘される。

第6章の下條尚志論文「ミクロヒストリーを通じて考える対立の記憶――ベトナム南部メコンデルタ多民族混淆社会の経験と場をめぐる歴史語り」では、国家間紛争を含むナショナル、グローバルな影響をうけ、人の移動と混淆が繰り返されたフータン社というローカルな場がとりあげられている。民族間通婚、移民流入に伴う地域変化や土地神をめぐる信仰などさまざまな事象についての相互作用と歴史語りをとおしたミクロヒストリーから、多様な民族の差異をめぐる認識が生成されてきたことを明らかにし、ナショナルかつ脱領域的な視点で議論されてきたベトナムにおける民族間対立の歴史認識について、従来とは異なる見解を示している。

第3部第7章の中山大将論文「樺太日本人慰霊碑はなぜ建立できたのか―日ソ戦後サハリンにおける樺太旧住民慰霊碑等建立のミクロヒストリー」では、日本人慰霊碑等の建立がサハリンで実現した背景が、慰霊碑等建立に関する手記や記念誌、聞き取り調査と現地調査から解き明かされる。そこには、国民/民族集団のマクロな関係性や慰霊碑等の碑銘・碑文からだけでは演繹的に理解できないミクロな関係性の蓄積が存在し、それが慰霊碑等の建立とその碑銘・碑文のありように大きな影響を及ぼしたことを明らかにする。

第8章の藤本透子論文「海を渡った一族――沖縄の座間味島をめぐる移動史」は、歴史とは自分の内奥に呼応するものであるという視点に立ち、座間味島をめぐる祖先の移動史をたどったものである。この島をめぐる国際秩序の変遷の下で、海を渡る移動がいかに選択されたかについて生業基盤と他者関係を軸に通時的に記述し、生活圏の拡大とそれにともなう移住先での定着の在り方と生活戦略を考察している。「自分のなかに歴史を読む」行為をとおして、一族の越境をめぐる他者との関わりとその変化のミクロヒストリーを明らかにし、移動がもつ意味と、他者との関わりのなかで人びとがいかに生きたかを問うものとなっている。

第9章の王柳蘭論文「越境経験の物語と自己意識――タイ・ビルマ国境域における雲南系ムスリム・パンロン人を事例に」では、パンロン人の越境の歴史と自己意識の在り方が故地との関わりから考察される。具体的には、人びとに継承されてきた伝承とインタビューで得られた語りを用いて、彼らが過去の越境の出来事をどのように伝え、それによりどのように故郷とのつながりを想起しうるのかという、伝承が今を生きるディアスポラの人びとに与える意味と作用について明らかにされる。

おわりに

グローバル化が進む今日、世界各地にはさまざまな背景、形で越境して暮らす人々がいる。本書では、こうした「越境者」の生――生きる姿――を「ミクロヒストリー」という視座を活用して描くことを試みてきた。とくに、日本で生きる越僑、南スーダン共和国からの帰還民、亡命チベット人、ウガンダ難民居留地に生きる難民と移民、マレーシアにおけるインドネシア人労働者、ベトナム南部メコンデルタ多民族社会に生きる人びと、戦後サハリンにおける樺太旧住民と現地の新住民との関係性、中国から沖縄に渡った一族の移動史、タイ・ビルマ(ミャンマー)国境域における雲南系ムスリム・パンロン人というように、多様な社会的環境に生きる越境者を事例として彼らの生の動態を読み解いてきた。世界各地にはさまざまな越境者の生が展開しており、その一部を描きだしたに過ぎない。しかし、「はじめに」においても述べたように、越境者のミクロヒストリーへの人類学的視座をとることによって、彼らの生の動態には3つの側面があることを浮かび上がらせることができたといえる。

第1には、越境によって故郷を離れた人々の故郷観が多様な関係性のなかで実体化され、変遷し、時には複相化する一方、故郷は帰属意識の核となる地域として共有されることである。第2には、越境者とホストとの関係――社会的結合――は一様ではなく、多言語・多民族状況が生まれるローカルな場では他者認識も通時的に変遷するとともに、両者の社会的結合にはせめぎあいが生まれることである。しかも、そこではエスニシティを基盤とするトランスナショナルな社会的ネットワークが形成される。第3には、越境者の「個」――個人や家族の歴史的経験――に着目してみると、歴史を生き抜くという通時的変遷、いわば越境者の通時的戦略が明らかになることである。

さらに、これらの3側面の底流には共通して、越境者の自己再定置という問題が脈々と流れていることが分かる。他者とともに社会の一員として生きる人間にとって、個人としても集団としても「何者なのか」という問いは常に大きな問題となる。この意味で、どのような形で越境するにしろ、越境者は誰でも越境先のホスト社会において、自己あるいは我々は何者なのかという自己再定置を迫られるといえる。本書で描かれた各事例のミクロヒストリーは、越境者の自己再定置の動態と言い換えることもできる。

では、越境者の自己再定置の先には、どのような「生」が待ち受けているのであろうか。今日、経済基盤や生活スタイルの変化、個人化、グローバル化が進み、かつてのような「共同体(コミュニティ)」がもはや成立しなくなって久しい。しかも「多文化共生社会」の構築が喫緊の課題として問われるようになっている。他者とともに生きる人間社会の存立には、「つながり」の形成が不可欠であることを各地の民族誌が示してきた。グローバル化のなかで、ますます多文化の共存・共生が求められている私たちの社会でも、社会の健全な在り方には「つながり」の形成が鍵になるといえる。経済生活の変化に応じて「つながり」の形は、これまで通りではなく、インターネットを介した「つながり」の場もますます増えていくと考えられる。互いの信頼性を育み、安心できる暮しへの出発点となる新たな「つながり」は、何を契機に形成されうるであろうか。

この問いは、自己再定置を遂げた越境者集団がホスト社会において閉じた形ではなく、他者・多民族と共存・共生できる開かれた社会の一員へと「つながる」ためには何が求められるかということでもある。

たとえば、『ホモ・デウス』*36の著者である歴史家ユヴァル・ノア・ハラリは、ポスト・コロナの社会を見据えて、社会の安寧を期待できるためには、連帯(solidarity)、協働(cooperation)、そして情報の透明性に支えられた信頼(trust)を土台とする「つながり」を欠かすことができないと述べている*37。この「つながり」なくしては、人間社会の安寧な永続性を期待できないという指摘は、生き物である人間にとって、同じ空気を吸う、肌と肌を触れ合うといった人と人とのリアルな感覚をとおした「つながり」への希求は消え去ることはないであろうと言い換えることができる。

「つながり」形成の発火点には《信頼関係の構築》があり、「連帯」「協働性」「信頼」を育むためには、「対話」を重ねることが最も大切なことになるということができよう。しかも心のこもったコミュニケーション、対話は一過性のものではなく、重ねることが重要になる。さらに、「つながりあう」ことには双方向性の人間関係が求められ、一方通行の人間関係では他者を尊重する共生社会の実現は不可能といえ、他者との対話が有意義なものになるためには、「自己」の確立も必要となる。

この意味で、越境者の自己再定置は、異なる他者と「つながる」道を開く出発点になるといえる。自己再定置を遂げることによって、越境者はホスト社会における異なる他者との「つながり」構築を進めることができ、コミュニティにおける居場所も確保できるといえよう。他者と顔と顔を合わせ、対話を重ねる、ともに何かをつくり出すという「協働」の機会の経験の積み重ねは、情報の共有姿勢を育み、お互いを信頼しあい、これを土台とする「つながり」が形成できるといえる。

多文化共生社会を見据えた未来社会における新たな家族を越える「つながり」――集団的な枠組み――はどのような形をとりうるのであろうか。越境者も安寧に一員となる多文化共生社会の実現には、他者の尊重、信頼性、情報の共有を土台とする「つながり」の仕組みをつくることが欠かせないといえるが、この問題は私たちに残された今後の研究の課題といえよう。

*1: 久保忠行『難民の人類学――タイ・ビルマ国境のカレンニー難民の移動と定住』清水弘文堂書房、2014年。Pérez Murcia, Luis Eduardo, “`The Sweet Memories of Home Have Gone': Displaced People Searching for Home in a Liminal Space", Journal of Ethnic and Migration Studies, 45(9), 2019, pp. 1515-1531.

*2: David Turton, “The Meaning of Place in a World of Movement: Lessons from Long-term Field Research in Southern Ethiopia", Journal of Refugee Studies, 18(3), 2005, pp. 258-280.において'passive victims'と表現している。

*3: ロビン・コーエン(駒井洋監訳・角谷多佳子訳)『グローバル・ディアスポラ』(明石ライブラリー32)明石書店、2001年。

*4: James Clifford, Routes: Travel and Translation in the Late Twenty Century, Harvard University Press, 1997.

*5: ジョン・アーリ(吉原直樹、伊藤嘉高訳)『モビリティーズ――移動の社会学』作品社、2015年。

*6: 王柳蘭「インビジブルとビジブルな越境をよみとく――アジア・アフリカにおけるミクロヒストリーの視点から」『日本文化人類学会研究大会発表要旨集』2019年、C19頁。

*7: 片倉もとこ『イスラームの世界観――「移動文化」を考える』岩波書店、2008年。

*8: 中山大将『国境は誰のためにある?――境界地域サハリン・樺太』清水書院、2019年。

*9: UNHCR, “Global Trends", June 2022, at (last accessed on 1st October 2022).

*10: Fredrik Barth, Ethnic Groups and Boundaries: The Social Organization of Culture Difference, Boston: Little, Brown and Company, 1969.

*11: 林行夫『〈境域〉の実践宗教――大陸部東南アジア地域と宗教のトポロジー』(地域研究叢書19)京都大学学術出版会、2009年。境界が持つ多義性と人びとの日常的実践により自他関係が動態的に変化していく点を宗教からとらえた研究として、本書において越境者の他者との関係性とその境界変動を考えるうえで大きな示唆を与えている。

*12: 王柳蘭「[特集にあたって]越境者とミクロ・リージョンの創出」(特集 越境と地域空間――ミクロ・リージョンをとらえる)、『地域研究』10巻1号、2010年、7-15頁。

*13: Takako Yamada, Session 6-0375: “Reorienting Endangered Selves in the Multi-Cultural /Ethnic Landscape: Cultural Legacies, Religion and History", In: Traces, Tidemarks and Legacies, 110th Annual Meeting, Montréal, QC, Canada, November 16-20, 2011, Abstracts, American Anthropological Association, 2011, p. 184 [Held on November 20, 2011].

*14: Takako Yamada & Toko Fujimoto, Migration and the Remaking of Ethnic/Micro-Regional Connectedness, Senri Ethnological Studies, No. 93, Osaka: National Museum of Ethnology, 2016.

*15: 堀江典生・山田孝子「序章 辺境のコミュニティ維持機能」本村真編著『辺境コミュニティの維持――島嶼、農村、高地のコミュニティを支える「つながり」』ボーダーインク、2020年、9-23頁。山田孝子「第4章 リーダーシップとコミュニティ維持」本村真編著『辺境コミュニティの維持――島嶼、農村、高地のコミュニティを支える「つながり」』ボーダーインク、2020年、117-144頁。王柳蘭「第5章 ディアスポラ・コミュニティの再構築と信仰の継承」本村真編著『辺境コミュニティの維持――島嶼、農村、高地のコミュニティを支える「つながり」』ボーダーインク、2020年、145-177頁。藤本透子「第6章 中央アジア草原地帯におけるコミュニティの再編と維持」本村真編著『辺境コミュニティの維持――島嶼、農村、高地のコミュニティを支える「つながり」』ボーダーインク、2020年、181-217頁。

*16: 山田孝子「人はどのような『つながり』のもとで生きてきたのか」山田孝子編著『人のつながりと世界の行方』英明企画編集、2020年、137-186頁。

*17: 小西賢吾「ローカル/グローバルをこえるつながりのダイナミズム――チベットのボン教徒を事例に」山田孝子編著『人のつながりと世界の行方』英明企画編集、2020年、81-94頁。

*18: 王柳蘭、前掲論文、2010年、9頁。

*19: 下條尚志『国家の「余白」――メコンデルタ 生き残りの社会史』(地域研究叢書42)京都大学学術出版会、2021年。

*20: 川田順三『無文字社会の歴史――西アフリカ・モシ族の事例を中心に』岩波書店、1976年。

*21: 福井勝義編『抵抗と紛争の史的アプローチ――エチオピア国民国家の形成過程における集団の生存戦略』京都大学大学院人間・環境学研究科、2007年。関一敏編『人類学的歴史とは何か』海鳴社、1986年。

*22: 川田順造、前掲書。

*23: 杉島敬志・中村潔編『現代インドネシアの地方社会――ミクロロジーのアプローチ』NTT出版、2006年。クリフォードは、ローカルな現象へアプローチする際に、特定の文化的歴史的状況下における権力とコミュニケーションのネットワークとのもつれあいに着眼する必要を主張している(ジェームズ・クリフォード『人類学の周縁から 対談集』人文書院、2004年、48-49頁。

*24: 湖中真哉「遊牧民の集落小史――ケニア北東部ガリの事例」(Micro-history of a Nomadic Hamlet: The Case of the Garri in Northern Kenya)、『アフリカ研究』第44号、1994年、 47-70頁。

*25: Giovanni Levi, “5 On Microhistory", in Burke, Peter (ed), New Perspectives on Historical Writing", Cambridge: Polity Press, 1991, pp. 97-119[ジョヴァンニ・レーヴィ(谷川稔他訳)「第5章ミクロストーリア」、ピーター・バーク編『ニュー・ヒストリーの現在――歴史叙述の新しい展望』人文書院、1996年、107-130 頁(108頁)。

*26: Carlo Ginzburg, “Microhistory: Two or Three Things That I Know about It", Critical Inquiry, 20(1), 1993, pp. 10-35.

*27: Giovanni Levi, op.cit. Carlo Ginzuburg, op.cit.

*28: Carlo Ginzburg, “Latitude, Slaves, and the Bible: An Experiment in Microhistory", Critical Inquiry, 31, 2005, pp. 665-683 (p. 682).

*29: ジョヴァンニ・レーヴィ、前掲書、112頁。

*30: ジョヴァンニ・レーヴィ、前掲書、110頁。

*31: カルロ・ギンズブルグ(上村忠男編訳)「ミクロストリアと世界史」『ミクロストリアと世界史――歴史家の仕事について』みすず書房、2016年、154-194頁(154頁)。

*32: カルロ・ギンズブルグ(上村忠男編訳)「無意志的な啓示」『ミクロストリアと世界史――歴史家の仕事について』みすず書房、2016年、195-221頁(220-221頁)。

*33: 阿部謹也「ドイツにおける『地域』について」『阿部謹也著作集9』筑摩書房、2000年、366-367頁。

*34: ピータ・バーク(佐藤公彦訳)『歴史学と社会理論』(第二版)慶應義塾大学出版会、2009年、264-267頁。

*35: 鹿野政直『化生する歴史学――自明性の解体のなかで』校倉書房、1998年、31頁。二宮宏之、「参照系としてのからだとこころ――歴史人類学試論」、『歴史学再考――生活世界から権力秩序へ』日本エディタースクール出版部、1994年、3-44頁。

*36: ユヴァル・ノア・ハラリ(柴田裕之訳)『ホモ・デウス――テクノロジーとサイエンスの未来(上・下)』河出書房新社、((2018))。

*37: NHK ETV特集「緊急対談 パンデミックが変える世界~海外の知性が語る展望」2020年4月11日放送。

索引

    • 移民・難民 15-17, 19, 22, 133, 195, 222
    • 越境者 15-17, 302-303
    • 樺太引揚者 233, 237, 253
    • 帰還 23-24, 37-40, 70-74, 121-122, 135, 137-139
    • 帰還民 26, 71, 73, 89
    • 帰郷 39, 71, 79, 90, 179, 211
    • 帰属 15-16, 23, 36, 74, 101-102, 120-121, 133, 164, 193, 201-202, 206-207, 211, 215, 219, 232, 254
    • 帰属意識(認識) 4, 20, 23-24, 26, 69, 78-79, 90-92, 98-99, 101-103, 110, 120, 196, 220, 301, 301-304, 309, 324-326
    • 共同性再構築 18, 98
    • 軍事 131, 303, 309-317, 324, 326
    • 系譜(意識) 203, 269-270, 294, 305, 310, 324, 326
    • 婚姻/通婚 25, 145, 150, 176, 185, 195, 202-206, 208, 208, 211, 220, 276, 293, 317, 325
    • 交易 16, 110, 134, 138, 143, 149, 156-157, 166, 201, 264, 266, 292, 301, 303, 311-313, 316, 324
    • 故郷/故地 17, 23-26, 47, 69, 121-122, 146, 151, 183, 197, 211, 249, 252-253, 287, 302-304
    • 国際労働力移動 164, 166, 184, 186
    • 国籍回復 44
    • 国連難民高等弁務官事務所(UNHCR) 17, 41, 100, 131, 137-142, 144, 148,
    • 混淆 25, 156, 193
    • サハリン残留朝鮮人/日本人 236, 241
    • 自己意識 20, 25, 301
    • 自己再定置 18-19, 22-24, 27-28, 98, 122, 302, 326
    • 集合的記憶 193-194, 199, 207-208, 220-222
    • 植民地 143, 217, 242, 282, 301, 316, 326
    • 植民地化 72, 74, 76-77, 186, 200, 204, 211, 305, 317
    • 植民地期(時代) 136, 165-166, 170
    • 自立戦略/経済的自立 113, 116, 136
    • 侵攻 99. 102, 209-210, 266, 269, 304, 319, 321
    • 人類学的アプローチ/視座 20, 26
    • 先住民/先住民族 17, 163, 165, 169, 171-172, 176, 178-179, 185-186, 231, 234-235, 241-242, 254
    • 戦争 3, 15, 23-24, 35, 72, 193, 195, 198-199, 206, 220, 222, 236, 240, 287-289, 301, 306, 312, 317
    • ソ連樺太侵攻 231, 235-238, 240, 250, 254
    • 地域区分 99, 101-102, 113, 115, 121-122
    • 地域主義 24, 98, 101-102, 106, 121-122
    • チベット語難民共通方言 105, 109
    • つながり 16, 18-19, 23-24, 26-28, 64, 78, 86, 122, 131, 291, 293, 302-303
    • ディアスポラ 16, 26, 302, 304, 319, 323
    • 出稼ぎ 17, 97, 118, 144, 148, 166, 171, 179, 185, 211, 264, 282-283, 285, 320
    • 伝承 26, 201, 215, 218-219, 268, 275, 291, 303, 305-306, 308, 311, 318, 323
    • 難民法(Refuees Act) 136-137, 148
    • 難民支援戦略 138, 157
    • 汎チベット主義 24, 102, 121-122
    • 引揚げ 235, 247, 288, 292
    • ベトナム戦争 35, 41-42, 61-62, 207-210
    • 包括的チベット人意識 102-103, 115, 121
    • ミクロヒストリー 15, 36, 69, 99, 132, 164, 193-195, 232, 265, 303
    • ミクロ・リージョン 17-19
    • 民族間関係 199, 308, 310, 324
    • 民族的故郷 77, 79, 90
    • 離散 53, 102, 304, 317-325
    • 歴史語り 24-25, 194-195, 199, 209, 212
    • ローカルな場 19, 25-26, 194-195, 197, 200, 207, 211-213, 220-223